2015 年 3 月 のアーカイブ

薄景子 15年3月15日放送

150315-01
Alvesgaspar
旅のはなし ギュスターヴ・フローベールの言葉

旅するたびに、思うこと。

空は果てしなく続いているということ。
星は毎日、降り落ちそうなほど瞬いているということ。
一日のはじまりと終わりは、水平線がオレンジ色に染まること。

そして、日々、頭の中をいっぱいにしていた
あんなことも、こんなことも、
とてつもなくちっぽけなことだということを
旅は教えてくれる。

フランスの小説家、ギュスターヴ・フローベールは言う。

「旅は人間を謙虚にする。世の中で人間の占める立場が
 いかにささやかなものであるかを、つくづく悟らされるからだ」

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石橋涼子 15年3月15日放送

150315-02

旅のはなし メンデルスゾーンの旅する人生

作曲家のメンデルスゾーンは、
19世紀初頭、ドイツの裕福な家に生まれた。

幼いころから才能を開花させ
モーツァルトの再来と言われた。
20歳になると、実家の援助の元、旅に出る。
イングランド、ウィーン、フィレンツェ、ミラノ。
行く先々で刺激を受け、多くの名曲をつくった。

すべてに恵まれているように見えるメンデルスゾーンだが、
ひとつだけ、大きな不安を抱えていた。
彼の一族は突然死する人間が、とても多いのだ。

彼はこんな言葉を残している。

 旅を思い出すことは、人生を二度楽しむことだ。

彼は、38年という短い生涯の割に
多くの作品が残っている。
一日をいかに濃密に生きるかに賭けていたからではないだろうか。

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熊埜御堂由香 15年3月15日放送

150315-03
Bob Jagendorf
旅のはなし 桐島一家の長い旅

エッセイストとして活躍する桐島洋子さん。
3人の子どもをシングルマザーで育てた。
40歳目前をむかえたとき、一番下の男の子は8歳になったばかり。
忙しい毎日で、子どもと向き合えない苛立ちを抱えていた。

そしてふっと、決心した。
よし、この1年は静かな田舎町で、徹底的に子どもと向き合おう。
失業を心配するまわりには、こう返した。
この休暇は、私たち親子にとって最上の投資よ。

流れ着いたのは、アメリカのイースト・ハンプトン。
森の中で転げ回り、大雪の日には、かまどの火で家族で暖まった。
英語が全くできなかった子どもたちは、街の人気者になった。
旅先が、いつのまにか第二の故郷になり、
最後には、学校が終わる来年の夏まで帰らないと譲らなかった。
1年ですっかりたくましくなった子どもたちを前に
さみしくて、うれしいと洋子さんは思った。

末の男の子だった桐島ローランドさんは
その時をふりかえってこう言った。

 僕の母は、何も諦めないひとでした。
 僕たちも母に鍛えられ、悪くない育ち方をしたと
 思っています。

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石橋涼子 15年3月15日放送

150315-04
Dakiny
旅のはなし 星野佳路がすすめる旅

日本のある地方では、十五夜に綱引きをする。
ある地方では、ぜんざいを注文するとかき氷が出てくるし、
ある地方では、こどもたちが近所をねり歩いてお菓子をもらうのは
ハロウィンではなく七夕のイベントだ。

たとえ日本で暮らしていても、知らない日本はたくさんある。

星野リゾート社長の星野佳路(よしはる)は言う。

 日本の文化を知るには、
 旅をするのが最も味のある方法です。

ガイドブックと同じ景色を観るだけではつまらない。
からだ全部をつかって、旅しませんか。

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茂木彩海 15年3月15日放送

150315-05

旅のはなし 日本人の旅

庭は限られたスペースに自然を創造し、
盆栽は鉢の上で大木を再現する。

日本の弁当は美しい食卓の縮小であり
俳句はわずか17の文字で森羅万象を表現する。

縮めることや細工することを好む日本人の性質には
「旅」が関係しているという。

他の大陸のように馬車を使わなかった日本人は、
荷物を背負い、山を越え川を渡って歩き続ける、という
原始的な旅をしていた。

そのため
物を縮め、小さくすることに大変な価値があったというわけだ。

細工してないものは「不細工」と非難し、
詰め込まないものは「詰まらない奴」と侮辱した。

見回してみれば当たり前に存在する日本らしさの中に、
旅好きの精神が現れる。

はるか昔から旅の趣を理解し、小さい荷物で出かけた
先人たちの背中を想うと
つい、旅の計画を練りたくなってしまう。

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茂木彩海 15年3月15日放送

150315-06
pingnews.com
旅のはなし 小田実の旅

作家であり、政治活動家であった小田実。

東京大学文学部を卒業後、1958年に渡米。
一枚の帰国用航空券と持参金200ドルを握りしめて世界一周旅行に出かけ、
世界のあらゆる人たちと語りあった。

その様子を描いた著書、「何でも見てやろう」は
当時若者達の間でベストセラーになり、
バックパッカーの草分け的存在として今も語り継がれている。

 まあ、もうちょっと、行ってみようやないか。
 ほんとうに未知なものにむかって進むとき、
 人はそんなふうに自分に対して言うほかはない。

単純で大きな好奇心を満たすのに
旅より良い方法は、ちょっと見つからない。

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小野麻利江 15年3月15日放送

150315-07
suttonhoo
旅のはなし 旅に出てきた甲斐・沢木耕太郎の場合

旅に出ても、
旅先で何をすればいいかわからない。
そんな人がいたら、
沢木耕太郎のこの言葉を伝えたい。

 これから毎日、朝起きれば、
 さてこれからどうしよう、と
 考えて決めることができるのだ。
 それだけでも旅に出てきた甲斐が
 あるように思えた。

やることが、まだ決まっていない。
それだけでも、旅は冒険になる。

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小野麻利江 15年3月15日放送

150315-08
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旅のはなし 旅に出る理由と、くるり「ハイウェイ」

 僕が旅に出る理由は だいたい百個くらいあって

ロックバンド・くるりの
代表曲のひとつ、「ハイウェイ」。
歌い出しのこの歌詞は、
旅のはじまりに感じる静かなワクワクを
記憶の中から連れてくる。

 ひとつめはここじゃどうも 息も詰まりそうになった

「だいたい百個くらいある」らしい
旅に出る理由を
ボーカルの岸田繁が、ぽつりぽつり紡ぐ。

 ふたつめは今宵の月が 僕を誘っていること
 みっつめは車の免許 とってもいいかな なんて 思って いること

でもどの理由も、本当の理由じゃないように聞こえる。
旅を愛する人なら、聴けばわかるはずだ。
歌の終盤で、岸田もこう言っている。

 僕には旅に出る理由なんて何ひとつない

旅に出たい、旅に出ようという衝動。
くるりの「ハイウェイ」には、
その衝動が、濃縮された原液みたいに詰まっている。

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厚焼玉子 15年3月14日放送

150314-01

三人のマーサ1

アメリカ合衆国歴代のファーストレディには
三人のマーサがいる。
ひとりめは初代大統領ジョージ・ワシントン夫人
ふたりめは、三代め大統領トマス・ジェファーソン夫人
三人めは、そのトマス・ジェファーソンの長女、
マーサ・ジェファーソンで
亡き母にかわってファーストレディの役割を担った。

マーサという名前は
聖書に出てくるベタニアのマリアの姉マルタに由来する。
イエスがその家を訪れたとき
姉のマルタはイエスをもてなすために一生懸命働いたが
イエスの心にかなったのは妹マリアだった。

忙しかったマルタ、でも褒められたのはマリア。
どうも割に合わない。

36代ファーストレディ、ジョンソン夫人はこんな言葉を残した。
「ファーストレディとは、一人の人間、つまり夫から選出された、
 給料がもらえない公務員です。」

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厚焼玉子 15年3月14日放送

150314-02

三人のマーサ2 

アメリカ合衆国歴代のファーストレディには
三人のマーサがいる。
そのひとりめは、初代大統領ジョージ・ワシントン夫人。

ジョージ・ワシントン夫人のマーサは
裕福な農園に生まれた。
丸顔で小柄だったが乗馬が得意で、
馬で階段を駆け上がるほどの腕前だったという。

18歳で結婚、25歳で未亡人になり
その2年後にジョージ・ワシントンと結婚した。

夫が大統領に選ばれてしまうと
ファーストレディとしてのつとめは果たし、
どんな行事も几帳面にこなしていたが、
あくまでも控えめで奥ゆかしく
内助の功ともいうべき姿だったと伝えられる。

ワシントンが亡くなるとき
マーサは
「もうすぐおそばに参ります」と話しかけている。

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