t.shigesa
花とことば⑦ 井伏鱒二
唐の時代の詩人、于武陵の「歓酒」は
別れの悲しみを詠った詩。
その一節、
「花発(ひら)けば風雨多し 人生別離足る」を
作家の井伏鱒二はこう訳した。
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
春は出会いと同時に別れの季節でもある。
桜が少しだけ物悲しいのはそのせいかもしれない。
t.shigesa
花とことば⑦ 井伏鱒二
唐の時代の詩人、于武陵の「歓酒」は
別れの悲しみを詠った詩。
その一節、
「花発(ひら)けば風雨多し 人生別離足る」を
作家の井伏鱒二はこう訳した。
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
春は出会いと同時に別れの季節でもある。
桜が少しだけ物悲しいのはそのせいかもしれない。
aoryouma
花とことば⑧ 梶井基次郎
櫻の樹の下には屍体が埋まっている!
これは梶井基次郎の短編小説
『櫻の樹の下には』の冒頭の一節。
主人公の語り手にとって、
爛漫と咲き乱れる桜はあまりにも美しすぎる。
その美しさが彼を不安にさせる。
そこで彼は想像してみる。
すべての桜の木の下に屍体が埋まっていると。
腐乱した屍体を養分にして桜は美しい花を咲かせる。
そう思うことで彼は心の均衡を取り戻す。
春。
いっせいに咲き、いっせいに散る桜に、
日本人は死のイメージさえ重ねる。
日本人にとって桜ほどとくべつな花はない。
ヴィクトリア女王
1837年。
弱冠18歳にしてイギリスの女王となったヴィクトリアは、
いとこのアルバートにひとめで恋に落ち、
すぐに結婚を決意してしまった。
王族の恋愛結婚が珍しい時代。
自らの思いを貫いた彼女が選んだウェディングドレスは、
王室の伝統にのっとったきらびやかなものではなく、
白いサテンのシンプルなドレス。
飾らず、誠実で、純粋。
まさに彼女の人柄を象徴する結婚だった。
晴れて夫婦となった後も、
アルバートを生涯愛し続けたヴィクトリア。
そんな女王の生き方に憧れた女性たちのあいだに、
純白のウェディングドレスを着る
習慣が広まっていった。
生涯、この人と添い遂げたい。
今日も世界中の花嫁たちが
ヴィクトリアと同じ願いを身にまとう。
小帽(Hat)
荒木経惟
1968年のとある日。
広告代理店の写真部で働いていた男が
同じ会社に勤める女性を撮影しながら言った。
あ、笑わないで。
さっきのムスーッとした表情の方がいい。
男の名は荒木経惟。当時27歳。
後に天才・アラーキーとして日本を代表する写真家になる男は、
ムスーッとした7つ年下の女性にひとめぼれした。
私の人生は陽子との出会いからはじまった。
そこまで言い切った彼は、
妻・陽子との新婚旅行や日常を写した作品を発表しつづけた。
それは、ひとめぼれで始まった恋が愛に変わり、
別れの瞬間を迎えるまでのセンチメンタルな記録。
アラーキーは言う。
「永遠」っていう言葉は好きじゃないけど、
どれだけ相手と「愛ノ時間」をもてるか、
そこだね、写真って。
Daniel Staemmler
ティム・バートン
その瞬間、映像を一時停止するように
世界のすべてが、ぴたり、と止まった。
静まり返ったサーカス会場で、
動いているのは主人公ひとりだけ。
飴細工のように固まった炎をかわし、
道化師の輪をくぐり抜け、
空中で浮いたままのポップコーンを手で払い落としながら
彼が歩み寄った先には、美しい女性の姿があった。
ティム・バートン監督の映画「BIG FISH」のワンシーン。
主人公が運命の人に出会ってひとめぼれするさまを、
ハリウッドを代表する鬼才は
時を止めることで鮮やかに表現してみせたのだ。
バートンは、あるインタビューでこんな言葉を残している。
「僕に未来はない。あるのは今だけだよ」
この一瞬を愛することができるなら、
人生はもっと素敵になるはずだ。
チェ・ゲバラ
革命家というものは、やはり情熱的なのだろうか。
キューバ革命の英雄チェ・ゲバラは
ゲリラに志願してきた女学生にひとめぼれをした。
のちに妻となるアレイダ・マルチ。
あるときゲバラが腕を骨折すると、
アレイダは持っていたスカーフで彼の腕を吊って手当てした。
それがよほど嬉しかったらしい。
ゲバラはのちにこう書き残している。
絹のスカーフ。これは特別なものだ。
腕を怪我したのではないかと彼女がくれた。
愛のこもった包帯として。
厄介なのは、僕が頭を割られたときの使い道だ。
だが、いい方法があった。
頭に巻いて顎を支えれば、
そのままスカーフとともに墓に行ける。
死んでも忠実でいられる。
その後ゲバラは新たな革命をめざし単身ボリビアに渡るが、
捕えられて命を落とす。
死後30年してようやくキューバに戻った遺骨のそばに、
妻はそっとスカーフを納めた。
最後まで、愛と革命に忠実な人生だった。
作家たちの副業① 「エリオット」
詩人T.S.エリオットの副業は銀行員だった。
通勤する大勢のサラリーマンを見て、
白アリの群れ
と笑い、自分の職場について
死ぬまでここにいると思うとゾッとする
と嘆いたが、
内心では定職があることに感謝していた。
文学仲間が独立資金の提供を申し入れたときも、
仕事がもたらす安定を選んだ。
1948年。定年を迎えた年に、
彼はノーベル文学賞を受賞する。
金のために書くのではない。
仕事柄、お金の価値を知り尽くしていたからこそ、
彼は決して自分を安売りしなかった。
作家たちの副業② 「メルヴィル」
作家ハーマン・メルヴィルの副業は農家だった。
広大な畑に面した書斎の窓から見える景色は、
まるで大西洋を進む船から
外を眺めているようだった
代表作「白鯨」はこの部屋で生まれた。
冬の夜、風のうなり声を聞きながら
畑に降り積もる雪を見ていると、
白くて巨大な何かに
世界が吸い込まれていく気がした。
それはエイハブ船長ら乗組員が、
物語の最後で鯨のモビーディックに倒され、
海に飲み込まれていく様に少し似ていた。
作家たちの副業③ 「アシモフ」
SF作家アイザック・アシモフの副業は
お菓子屋さんだった。
父親が経営する何軒もの店を
彼は大人になるまで手伝った。
営業時間は朝の6時から夜中の1時まで。
休みはない。
私は今も、これからも、
ずっとあの菓子屋にいる
幼い頃、体に刷り込まれた一生懸命働く歓びが、
作家になった後も彼を突き動かし続けた。
なぜ休むより働く方が好きなのか。
それはサイエンスでは解けない謎だった。
作家たちの副業④「ダーウィン」
生物学者チャールズ・ダーウィンの副業は
地質学者だった。
ヒトはサルから進化した。
そんな話が19世紀のイギリスで
受け入れられるはずがない。
学会から追放されるだけでなく、
教会から断罪されるかもしれない。
だから彼は身分を偽った。
地質学に関する本を何冊も書き、
科学界で信用を高めることに努めた。
1859年、ついに「種の起原」を出版。
最も強い者が生き延びるのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。
「進化論」は、初めは激しく批判されたが、
次第に受け入れられ始めた。
世の中が進化するまでに、
彼は30年近く待たなければならなかった。
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