明治のパパラッチ
明日6月1日は、写真の日。
明治天皇は、極度の写真嫌いで有名だった。
しかし、そんな明治天皇を初めて写した写真がある。
写したのは、オーストリア出身の写真家、スティルフリード。
艦隊に随行する形で日本にやって来たスティルフリードは、
1872年、横須賀造船所を訪れた天皇一行を無断で撮影。
明治政府の没収を逃れ、国外に持ち出された。
公式に残る明治天皇の写真は、たった2枚のみ。
大きな波紋を呼んだその「パパラッチ写真」も、
後に貴重な歴史的資料となった。
明治のパパラッチ
明日6月1日は、写真の日。
明治天皇は、極度の写真嫌いで有名だった。
しかし、そんな明治天皇を初めて写した写真がある。
写したのは、オーストリア出身の写真家、スティルフリード。
艦隊に随行する形で日本にやって来たスティルフリードは、
1872年、横須賀造船所を訪れた天皇一行を無断で撮影。
明治政府の没収を逃れ、国外に持ち出された。
公式に残る明治天皇の写真は、たった2枚のみ。
大きな波紋を呼んだその「パパラッチ写真」も、
後に貴重な歴史的資料となった。
化学者の写真館
明日6月1日は、写真の日。
日本で最初に写真館を開いた上野彦馬。
坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文といった
幕末の日本を動かした大物たちが
長崎にある彦馬の写真館を訪れ、写真を撮った。
彦馬が生きた明治時代。
当時の日本では感光材として必要な
薬品の入手さえままならず
写真を撮るためには、
自分で薬品を精製しなければならなかった。
若かりし頃、
オランダ人の医師の下で化学の知識を身に着けた彦馬。
その知識が写真撮影に活かされた。
彼が撮影手順を記した
「舎密(せいみ)局必携」は、
明治の学制改革まで
日本全国で化学の教科書として使われたという。
彦馬は写真家であると同時に、
化学者だったのだ
伊兵衛のおばこ
今日は写真家、木村伊兵衛の命日。
ライカを手にして日本を旅し、
普通の人々の日常を鮮やかに切りとる。
スナップ写真の達人だった木村伊兵衛。
中でも伊兵衛が愛したのは秋田県。
何度も訪れては、農村の風景を次々とフィルムに焼き付けた。
その中に、
見る人の目を釘付けにする一枚がある。
若い娘をあらわす方言で「おばこ」と名づけられた
一人の娘の写真だ。
今見ても圧倒的に美しい、透明なまなざし。
編み笠をかぶり、野良着を着て、
田植えをしている最中の農家の娘のように見えるが
彼女はその時、農作業をしていたわけではなかった。
後に秋田美人の象徴とも言われた一枚は、
実は、木村伊兵衛の見事な演出だったのだ。
女性にとってリアルは、美ではないこともある。
リアリティを追いかけながら、
女性の美に関しては、時に鮮やかに嘘をつく。
木村伊兵衛が女性ポートレイトの名手、と称された理由も
そこにあるのかもしれない。
リアリズムと写真
明日6月1日は、写真の日。
「写真は絵画の代替物である。」
第二次世界大戦以前の日本では、写真に対する評価は低く、
浮世絵の模造品のごとく、
シンプルな風景を撮影したものがほとんどだった。
土門拳は、そんな日本写真の呪縛を打ち破りたかった。
対象物を性格に描写するようなリアリズム。
真実を追求し、現在を撮る。
写真は肉眼を遥かに越えることを、土門は証明していった。
実物がそこにあっても、実物を何度見ていても、
実物以上に実物に見える。そんな写真が、本物である。
土門の鋭い眼差しは、
被写体を見つめているのではない。
被写体を暴いているのだ。
伊兵衛の口癖
今日は写真家、木村伊兵衛の命日。
ライカを手にして日本を旅し、
普通の人々の日常を鮮やかに切りとる。
スナップ写真の達人だった木村伊兵衛。
彼の口癖は、「乙なもんですね」。
しかし甲乙つけがたい、とも言われるように
「乙」とは決して最上のもの、ではない。
最上ではないものを、よしとする
それが木村伊兵衛の写真の凄さだ。
同じくライカを操り、スナップを得意とし
伊兵衛ともよく比較されたフランスの写真家、
アンリ・カルティエ・ブレッソンは
「決定的瞬間」の言葉で知られるように
1ミリも動かしようのない完璧な構図を目指した。
伊兵衛を敬愛する写真家、荒木経惟は
伊兵衛の写真を、こう語る。
木村伊兵衛さんの写真は、
この瞬間が最高だとかいうのではなくて、
時間の流れっていうか、
動いてる感じがある。
ブレッソンが「決定的瞬間」って言ってるけど、
木村さんには「決定的瞬間」なんてないんだよ。
そこが魅力的なんだよ。
完璧でないものにも、美しさがある。
木村伊兵衛の乙な写真術は
日本人ならではの美、とでも、言ってみたくなる。
sorarium
写真の世界
明日6月1日は、写真の日。
日本の近代写真を確立させた、野島康三(のじまやすぞう)。
ロマンティックで絵画的な写真から、
モデルの個性を引き出す人物写真。
それまでタブーとされてきた
ヌード写真にも積極的にとりくんだ。
1920年に発刊された「写真月報」に
彼は、こう記している。
「絵のやうな写真などゝ云はれて嬉しがってゐては駄目です。
写真には写真の世界があります。
写真の世界に作家が生きていなければ駄目です。」
今から100年近く前、
写真を絵画から切り離し
芸術へと昇華させた野島康三。
彼の写真は、いまも、力強くうったえるものがある。
Amelien (Fr)
写真家のいろは歌
明日6月1日は、写真の日。
アマチュア写真家 安井仲治(やすいなかじ)。
彼が考えた
「写真家四十八宜(しゃしんをうつすひとよんじゅうはちよろし)」。
そこには、48もの写真家への言葉がある。
い、「いつそスラムプは大なるがよろし」
ろ、「ろくでもないものは感心せぬがよろし」
は、「ハツと感じたら写すがよろし」
など。
1940年に発表されたものだが、
現在に通じるものも多い。
ざまざまな技巧に、精力的に取り組みながら
常に被写体の人間らしさを見失わなかった安井仲治。
この「写真家四十八宜」からも、
写真の向こう側にいる人間への思慮がうかがえる。
663highland
写真的建築
明日6月1日は、写真の日。
砂丘の中に人をオブジェの様に置く構図で知られる写真家、植田正治(うえだしょうじ)。
前衛的な演出写真は「植田調」として世界でも知られている。
そんな彼の作品を収める写真美術館が、
鳥取県大山のふもとにひっそりと建っている。
実はこの建築、植田の代表作「少女四態」をモチーフに設計された。
コンクリート打ちっぱなしの四角い展示室が4つあり、
それらが微妙に異なる間隔で並んでいる。
展示室から展示室へと移動する途中、
巨大な2枚の壁の間から雄大な大山を望むことができる。
コンクリートで切り取られた風景は
まるでフレームに収まる写真の様だ。
風景を切り取るという意味で、
建築と写真は、よく似ている。
下澤理如(まさゆき)① 最初のエピソード
「僕といっしょにギリシャに来てくれませんか」
2004年アテネオリンピック。
野球日本代表監督だった長嶋茂雄が、
口説き落とした男がいる。
日本料理「分とく山」の総料理長・野崎洋光(ひろみつ)。
長嶋茂雄が何度も店へ足を運び、
チームの料理長にと直訴するほど惚れ込んだ男だ。
彼が最も得意とする料理が、
土鍋で炊き上げる、白いご飯。
大の男がひと口で胃袋を掴まれるおいしさだという。
そんな野崎が、
「私の炊き方に似ている」と褒めた、
ただひとつの電気炊飯器がある。
開発したのは、下澤理如(まさゆき)。
「ごはんの神様」と呼ばれた
技術者である。
Creativity103
下澤理如② 神様と呼ばれる所以
1990年代後半、
下澤理如の炊飯器開発は、大きく遅れをとっていた。
チームの焦りが募るある日、
リーダーの下澤が突然、
カナヅチを手に工場を飛び出した。
彼は工場の脇に小屋をたてると、何日も出てこなかった。
「何をやっているのだ」と同僚がのぞきにいくと、
小屋の中では、大きな釜が火をふいていた。
「釜で炊いたご飯が一番うまい」
下澤はそう言って、炊きたての白米をほおばった。
そう。
彼のライバルは、他社の炊飯器ではなく、
あくまでも釜で炊いたご飯だったのだ。
その後下澤が生み出した電気炊飯器は、
爆発的なヒットを記録する。
「ごはんの神様」
彼のニックネームも、その時、誕生した。
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