2015 年 5 月 23 日 のアーカイブ

坂本弥光 15年5月23日放送

150523-01
Exceed Worldwide
「足をつくる人」臼井二美男① 臼井二美男

「足」を蘇らせる職人
臼井二美男 (うすいふみお)。

義足は、
フルオーダーメイドではない。
複数の既存パーツを組み合わせて、
関節や骨など、曲線的な人体をつくっていく。
そこに、義足づくりのむずかしさがある。

設計は完璧でも、痛くて歩けない。
膝が曲がってくれず、転んでしまう。
そんなことがよく起きるのだ。

しかし、臼井の手にかかれば、
まさに自分の「足」ができあがる。

その秘密は、想像力にある。
身体の癖。職業。
短気なのか、おとなしいのか。
会話をしながら、その人のすべてを想像しつくっていくのだ。

臼井の理想とする義足。

 それは、血の通うような義足だ。

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坂本弥光 15年5月23日放送

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Heinrich Klaffs
「足をつくる人」臼井二美男② 臼井二美男

義肢装具士、臼井二美男。
彼は切断障害者スポーツクラブ「ヘルス・エンジェルス」の
主宰者でもある。

アメリカの伝説的な暴走族が名前の由来だ。

 足を切断して、何年も走っていない人たちの挑戦。
 ちょっとワルな心意気が必要でしょ。

臼井はそう言って、笑う。

普通、義足を履いて走ろうと思う人はいない。
高価で、替えがなく、壊れてしまったら、
学校や会社に行くこともできないからだ。

だから、臼井は、
ワルさをするくらいの勇気が必要だ、と訴えるのだ。
斜めに構えたっていい。
とにかく、走ってみる。のだ。

その結果が、グラウンドにある。
もう一度走るよろこびを手にしたランナーたちが、
今日もトラックを駆け抜けている。

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坂本弥光 15年5月23日放送

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ruurmo
「足をつくる人」臼井二美男③ 佐藤真海

彼女は、19歳のとき、右膝から下を切断した。
足を失った絶望。慣れない義足。

彼女を救ったのは、インターネットで見た、
障害者たちが気持ちよさそうにプールで泳ぐ姿だった。
義足を外した姿を晒すのには抵抗があったが、
「私も泳ぎたい」という気持ちの方が強かった。

再び体を動かす喜びを実感した彼女は、
練習に励み、大会に出場するようになる。
そして、日本のスポーツ用義足の第一人者である、臼井と出会い、
陸上競技に転向する。

彼女は、陸上にのめり込んでいった。
3つのパラリンピックに出場し、
走り幅跳びでは日本新記録をたたき出した。

そして2014年、東京五輪招致でスポーツの力を訴えた。

私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。
スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。
それは、2020年に東京大会が世界に広めようと決意している価値です。

彼女の名は、佐藤真海。
次の目標は、2020年の、金メダルだ。

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坂本弥光 15年5月23日放送

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leodelrosa…
「足をつくる人」臼井二美男 ④gimico

アンピュティ・モデル。
日本でそんな新たな領域を切り開いた女性、gimico

14才の時、右足を大腿部から切断し、
彼女の義足人生は、はじまった。

足を失った人のほとんどは、その機械的な足を隠そうとする。
しかし、彼女は露出の高いものを着て外に出る。
金属の足をむき出しにして、
ファインダーに収まっていく。
そうして彼女は日本初の「義足モデル」となったのだ。

 義足はファッションの一部であり、
 自分を表現するパーツだ。

そう彼女は言う。

義肢装具士である臼井の高い技術を、
ファッション性・オリジナリティの再現に使う。

隠す義足を、魅せる義足へ。

臼井とgimico。
ふたりで生み出しているのは、義足という文化だ。

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