石橋涼子 15年6月28日放送
お米の話 大阪の飯炊き仙人
大阪の大衆食堂で50年にわたり
ぴかぴかの銀シャリを炊き続けた村島孟(つとむ)は
人々から愛情をこめて「飯炊き仙人」と呼ばれた。
少年時代に終戦を迎え、食べるもののない時代を経験した。
もともとは料理人になりたかったという村島は、
大人になり名店と呼ばれる店をひたすら食べ歩き、
そして気づいた。
「一流の料亭でも、ご飯の味はイマイチじゃないか」と。
東京五輪の年に一念発起、脱サラして食堂を始めた。
おかずづくりはすべて妻にまかせ
自分は飯炊きに専念した。
毎朝4時になるとかまどに火を入れ、
上半身裸になり、ひたすら米を炊きつづけた。
仙人は、「匂いがつく」と言って魚も肉も包丁も触らない。
長年飯炊きにつかい続けた木しゃもじには
彼の手形がくっきり残っているという。
出来の悪いのが飯(めし)
まあまあなのがご飯、
最高に炊けたんが銀シャリや
そう語る飯炊き仙人の銀シャリを食べるために
1日500人もの人が店を訪れ、
かつて仙人が憧れた料亭の料理人たちも
その味を学ぶために通ったという。