2015 年 9 月 のアーカイブ

坂本弥光 15年9月13日放送

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フェラン・アドリア ロブションの賞賛

天才料理人 フェラン・アドリア。

かつて、ガストロノミーの権威はフレンチにあり、
アドリアのようなスペイン人が評価されるなどありえないことだった。

そんな時代に、誰より先に彼の才能を見抜き、
とある一言で、アドリアの運命を変えた男がいる。

 アドリアは間違いなく、世界最高のクリエイターだ。

その男こそ、かの有名なジョエル・ロブションだ。

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坂本弥光 15年9月13日放送

150913-08
cronicagastronomia
フェラン・アドリア ガストロノミー

天才料理人、フェラン・アドリア。
彼はレストランエル・ブリを畳んだ後、
近未来味覚ラボラトリーなる財団を設立した。

その場所を、アドリアのビジネスマネジャーを長年務める
エルネスト・ラポルテはこう表現する。

 レストランは、音楽を演奏する場所。
 タジェールは、“曲”を書く場所なんです。

様々なクリエイターたちを随時招聘し、チームで様々な議論をする。
最新のデジタル技術と連携しながら、
そのアイデアをどう料理に応用していくか、
終わりなき戦いに挑戦し続けているのだ。
アドリアの言葉に、こんな一言がある。

 イワシとホワイトチョコレートを
 混ぜちゃいけないなんて、誰が言った?

フェラン・アドリア。御年、53歳。
彼の挑戦はまだまだ終わらない。

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佐藤理人 15年9月12日放送

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脳にまつわる素朴なギモン 「個性」

 個性はどこから生まれるの?

神経科学者のスーザン・グリーンフィールドによれば、
人間には約1000億個の脳細胞があり、
新しい経験をするとそれらが互いに結びつき合うそうだ。

同じ経験をしても結びつき方は人によって異なる。
その差は、感じ方の差。
自分の経験をどう受け止め、何を学んだか。
それこそが、

 個性

遺伝子は変えられない。でも経験は変えられる。

もしもいま自分を変えたいと思うなら、
自分らしくないことしてみるのが、
いちばんの近道かもしれません。

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佐藤理人 15年9月12日放送

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saracino
脳にまつわる素朴なギモン 「恋」

 人はなぜ恋に落ちるの?

進化心理学者のロビン・ダンバーによれば、
恋をすると脳には二つの化学物質が生まれるそうだ。

ワクワクの素となるドーパミンと、
トキメキの素となるオキシトシン。

脳の動きを見るとこれらの物質が、
感情を司る右脳を活発に輝かせることがわかる。

一方、理性や言語を司る左脳の動きは大きく鈍る。
恋をすると気持ちをうまく伝えられずもどかしい思いをしたり、
バカげたことをしてしまうのはそのせいだ。

しかし、恋の素となる化学物質はまだ見つかっていない。

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佐藤理人 15年9月12日放送

150912-03
Mixtribe Photo
脳にまつわる素朴なギモン 「不安」

 人はなぜ不安になるの?

マジシャンのダレン・ブラウンによれば、
脳は人をダマす天才だそうだ。

膝を擦りむくと、痛みを感じるのは脳なのに膝が痛いと思う。
脳は私たちを大げさに錯覚させる。まるで手品のように。
だから本当は大したことないことも、
どんどん悪い方へ考えてしまうのだ。

目には目を。錯覚には錯覚を。
脳に不安になるヒマを与えてはいけない。
誰かと話す。何かに夢中になる。
遊ぶ気分じゃないときほど遊んでみる。

開き直った人が強いのは、ちゃんと理由があるらしい。

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佐藤理人 15年9月12日放送

150912-04
Aktagawa
脳にまつわる素朴なギモン 「ひらめき」

 アイデアはどこから来るの?

作家のフィリップ・プルマンによれば、
面白いことをひらめく理想的な環境は、

 ぼんやりしているとき

だそうだ。

学生時代、彼はクリケットの選手だったが、
あまり上手くなかったため、
いちばん遠くの守備につかされた。

滅多に飛んでこないボールを待ちながら、
彼はいつも空想しながら過ごした。

 これまでの人生もあのときと同じように
 ずっと夢うつつで過ごしてきた気がする

いいアイデアはひらめこうとしてひらめくものじゃない。
でもグローブを構え続けておかないと
いざというときつかめない。

いつか、きっと、やってくる。
ひらめくことは信じることと少し似ている。

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大友美有紀 15年9月6日放送

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「あの日からサウダージ」 ナラ・レオン

「あの日からサウダージ」
ボサノヴァのミューズ、ナラ・レオンが
歌詞を書き下ろした、
日本のビールのCMのための音楽。

 原題は、Suadades de você(サウダージュ デ ヴォセ)
 あなたへの郷愁、あなたのいない切なさ、と言った意味。
 失った愛と戻ってきた愛について歌っている。

作曲は、ホベルト・メネスカル。
ナラの最初の恋人だった。

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大友美有紀 15年9月6日放送

150906-02
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「殻」 ナラ・レオン

ボサノバのミューズ、ナラ・レオンは、
子どもの頃、いつもコンプレックスを持っていた。
姉のダヌーザは、ブラジルで一番有名なモデルだった。
姉が活躍し、輝きを増すにつれ、
ナラは自分の殻に閉じこもりがちになっていく。

 12歳の頃は、泣いてばかりいた。
 おとなしくて、シャイで、
 自分自身をすごく醜いと思っていたわ。
 最悪なのは、美人の妹だっていうこと。
 あのとき、ナラ・レオンは
 まだ存在していなかったわ。

ギターを弾くことを覚え、歌を歌いはじめ、
シャイな女の子は、いつしか女神になった。

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大友美有紀 15年9月6日放送

150906-03

「ボサノヴァが生まれた家」 ナラ・レオン

  私の家庭は、イギリスでいうところのクラスレス。
  社会的階級に属さない変わった家庭だった。

ナラ・レオン、ボサノヴァのミューズと呼ばれる彼女が
育ったのは自由な家庭だった。
行儀よくしろ、とか、伝統を守れ、とか
そういうこととは関係なかった。
コパカバーナにあったナラの家は、3LDKのマンション。
でも普通の3LDKよりはずっと大きく、
それぞれの部屋がすごく離れていた。
居間でパーティーをしたり、集まったりできた。
ほぼ毎晩、仲間が集まり演奏したり、歌い、
情報交換していた。音楽集会が開かれていたのだ。
のちにMPB(エミペーベー)、
ムジカ・ポプラール・ブラジレイラの歴史を築く人物たちも
集まるようになっていった。
アントニオ・カルロス・ジョビンや
ジョアン・ジルベルトも参加したことがある。
ナラの家でボサノヴァが生まれた、という人もいる。

 私はグループにとってコンピュータみたいな存在だったわね。
 全曲の歌詞とメロディーとコードを暗記していたから。
 でも誰かが曲を思い出したい時にしか、
 口を開けなかったし歌えなかった。

ナラがグループに残ったのは、そこが自分の家だったから。
そんな単純な出来事が、ボサノヴァの女神を生んだ。

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大友美有紀 15年9月6日放送

150906-04
cogdogblog
「ボサノヴァ」ナラ・レオン

ボサは「隆起、傾向、素質」といった意味。
ノヴァは「新しい」。
つまりボサノヴァは、ニューウェイブだった。
ブラジルでの全盛期は1950年代の終わりから
60年代の前半ころまで。
その後はもっとテンポが早く、
リズミカルな音楽が流行っていく。

 美しいメロディ、ハーモニーと
 心地よいリズムにのった
 プライベート・ウィスパーソング

ナラ・レオンがボサノヴァを表現する言葉。
まるで彼女自身のようだ。

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