2015 年 10 月 4 日 のアーカイブ

澁江俊一 15年10月04日放送

151004-01

広辞苑の生みの親

日本を代表する辞書、広辞苑。
その表紙に、とある人物の名がある。
新しい村を出ると書いて新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日、10月4日に生まれた言語学者である。

広辞苑の編纂中、太平洋戦争が勃発。
東京大空襲では数千ページ分の銅版が失われた。
ようやく迎えた戦後。日本語は劇的に変わってしまう。

言葉の変化を認めなかった出は、
広辞苑のタイトルが略字体になると聞き、
一晩、号泣したという。

苦難を乗り越え、
昭和30年、初版が発売。
出の人生を賭けた、ずっしり重い一冊だった。

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-02

広辞苑を支えた息子

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

編纂を支えたのは出の次男・猛(たけし)。
フランス文学者だった猛は
治安維持法違反で投獄され、
釈放されたばかりだった。

猛は全力で作業に挑んだ。
外来語を充実させながら、
戦後、資金不足に困ると、
岩波書店に出版を依頼した。

父の願いだった広辞苑を、叶えた息子。

初版の広辞苑、価格は2000円。
公務員の初任給が9000円の時代に、飛ぶように売れた。
戦後の混乱で自信を失った日本が、
正しい日本語を、待っていたのだ。

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-03

広辞苑と国民的女優

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

広辞苑の生みの親といえば
どんな人物を想像するだろう?
いつも正しく、真面目で、謹厳実直な人物だろうか。

そのどれもがあてはまった出だが、
愛らしい一面もあった。
名女優、高峰秀子の大ファンで、
家中に彼女のポスターを貼っていたのだ。

広辞苑を知らなかったという秀子は、
出の印象をこう記している。

新村出という人は、
こりゃ余程の大人物なんだな、
ライオンが借りてきた猫みたいになっちゃったんだから。

ここで言うライオンとは
秀子を出に紹介した大作家、
谷崎潤一郎である。

秀子もまた、
かなりの大人物だった。

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-04

装丁の真相

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

装丁を担当したのは
出と親交のあった画家・安井曾太郎(やすいそうたろう)。

広辞苑の背表紙には、
不思議な浮き出し模様がある。
「水辺に立つ鳥」「池に睡蓮」など諸説あるが、
安井が模様の真相を語ることはなかった。

しかしこの浮き出し模様のおかげで、
広辞苑を持つ時に指がかかり、
とても持ちやすい。

パリに学び、
日本ならではのリアリズムを目指した安井。
そこまで考えての模様だったのだろうか?

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松岡康 15年10月04日放送

151004-05
Andrea.Echeverria
逆引き広辞苑

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

広辞苑の生みの親も、
おそらく考えもしなかったのが
“逆引き広辞苑”だ。

「イカ」という単語は逆の「カイ」で引く。
するめいか、もんごういか、ほたるいかなど、
様々な「イカ」が並ぶ。

逆引き広辞苑が生まれた理由は、
日本語の構成にある。

日本語では、言葉の意味が下にあり、
それを上で修飾することが多いため、
逆引きをすれば類縁関係にある言葉が一覧できるのだ。

なんでも検索してしまう今日、
たまには「逆引き」してみよう。
新しい日本語の魅力に出会えるはずだ。

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松岡康 15年10月04日放送

151004-06

厚さの秘密

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

発売から50年以上経ち
初版本から約4万語、700ページ以上も増えているが、
なんと広辞苑の厚さは変わっていない。

その秘密は一枚一枚の紙にある。
ページが増えた分だけ、紙を薄くしているのだ。

紙を薄くすれば裏の文字が透けてしまう。
それを防ぐために最新の技術で、
光を散乱させる炭酸カルシウムや
二酸化チタンを紙に漉き込んでゆく。

50年かけて進化したのは、
日本語だけではないのだ。

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-07
Dick Thomas Johnson
広辞苑を愛した作家

幼い頃、国文学者の父の書斎に行っては
広辞苑を取り出し、床に座ってめくっていた。
まだ読めなくても、その分厚さや重み、
ひんやりした紙の手触りや、インクの匂いを楽しんでいた。

そう語るのは、作家の三浦しをん。
辞書の編集という大仕事を丹念に取材した
小説「舟を編む」は本屋大賞を受賞し、映画にもなった。

取材中、三浦は
とある広辞苑の編集者に趣味を聞いた。
彼は、こう答えた。

「駅のホームにあふれた人が
エスカレーターに整列して
吸い込まれていくのを見るのが好きです」

こんなにも愛すべき人が、
正しい日本語を決めている。

感動した三浦はその言葉を、
主人公の趣味にそのまま採用した。

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奥村広乃 15年10月04日放送

151004-08
torisan3500
はじまりとおわり

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日、10月4日生まれの言語学者である。

詩人であり作家の高見順は、ある時、こう語った。

戦前の辞書は「愛」から始まり
「女(をんな)」に終わった。
戦後の辞書は「愛」に始まり
「腕力」に終わる。

どうやら、これは高見の創作であるらしい。
辞書のはじまりは「愛」ではない。
終わりは「女」でも「腕力」でもない。

では、本当の始まりと終わりは?
ぜひ、お手元の広辞苑で確かめてみてほしい。

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