2015 年 10 月 17 日 のアーカイブ

大友美有紀 15年10月17日放送

151017-01

「空を飛びたい」モンゴルフィエ兄弟

1783年、南フランスのモンゴルフィエ兄弟が、
不思議な球体を街の市場で披露した。

その球体は複数のパーツに分かれている布と紙を
1800個のボタンで留めたもの。

モンゴルフィエ兄弟が
その下で火を焚きはじめると
やがて球体は地面から離れて上昇しはじめた。

 バロンが天へ昇って行く

兄弟は大声で、皆に知らせた。
これは熱気球の原形。
高度1600m以上に達したといわれている。
バロンとは、フランス語で「袋」のこと。
英語の風船や気球の語源となった。

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大友美有紀 15年10月17日放送

151017-02

「空を飛びたい」ガルヌランのパラシュート

熱気球飛行にはある不安がつきまとった。
事故が起きて熱気球から飛び降りることに
なったらどうしたらいいのだ。
 
1797年、10月22日、パリ、モンソー公園。
フランスの科学者にして軍人の
アンドレ=ジャック・ガルヌランは、
気球にくくりつけた自作のパラシュートの実験を行った。

1000mの高さに上昇したところで、
気球とパラシュートをつなぐロープを切ったガルヌランは
パラシュートと共にゆっくりと着地した。

観衆は拍手喝采。

空を飛ぶためには、安全に降りることも必要だった。

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大友美有紀 15年10月17日放送

151017-03

「空を飛びたい」ライト兄弟の計画

1903年10月17日、人類初の動力有人飛行。
飛行時間は12秒。ライト兄弟が成し遂げた偉業だ。
しかし、最初に飛行機を作って飛ばしたのは、
ライト兄弟ではない、と主張する人々がいる。

テネシー州のメルヴィル・M・モレルは、
パイロットが滑車とヒモを操る
「アメリカン・フライング・マシーン」で
1877年8月、90mを超える飛行に成功。
その場にいたのはモレルの牧場の使用人だった。

ニュージーランドのリチャード・ピアースは、
エンジンをつけた動力飛行機で
1903年3月に試験飛行を成功。
しかし、その後は改良も発展も続けなかった。

 ライト兄弟は計画をきちんと明らかにし、証人も用意した。
 初飛行のあと、2人はその後の人生を飛行機の改良に捧げた。

偉業には記憶も記録も必要だと理解していたのだ。

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大友美有紀 15年10月17日放送

151017-04

「空を飛びたい」ニューヨークタイムズの謝罪

1919年、
マサチューセッツ州、クラーク大学のロバート・ゴダード教授は、
ロケットとロケット工学に関する論文を発表し、
ロケットを地球の大気圏の外、
それどころか月まで飛ばすことができると延べた。

それを知った「ニューヨークタイムズ」紙は、
ゴダードを酷評する社説を掲載。

 月にまで飛ぶことができるとする彼の考えは、
 「高校レベルの知識すら持っていない」

それから50年後の1969年7月17日、
アポロ11号が月へ旅立った翌日、
「ニューヨークタイムズ」紙に謝罪文が載った。
 
 さらなる調査および実験により、
 大気中と同様に 真空中でもロケットが
 飛行しうることは明確に実証されました。
 本誌は過去の過ちを後悔しています。

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大友美有紀 15年10月17日放送

151017-05

「空を飛びたい」ニューヨークタイムズの謝罪

カエデの種は、翼果(よくか)と呼ばれる
2枚の羽を持つ果実の中にあり、
くるくると回って落ちてくる。
これは、ヘリコプターのプロペラの構造と同じ。
レオナルド・ダ・ヴィンチも
スクリュー型のプロペラを持つ機械のスケッチを描いている。

けれども、パイロットを乗せたヘリコプターが
地上を離れて舞い上がったのは20世紀になってからだった。

高度1フィート(約30センチ)、20分間の
初飛行だった。

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