2015 年 10 月 25 日 のアーカイブ

蛭田瑞穂 15年10月25日放送

151025-01

音楽と人 バッハと神

モーツァルトは生活のために曲を書いた。
天才モーツァルトは音楽を愛好家する貴族の注文に応じて
すらすらとピアノ・ソナタを作曲した。

ベートーヴェンは野心のために曲を書いた。
自分の発表したピアノ・ソナタが
世間でどのような反響を起こすか。
それがつねにベートーヴェンの関心事だった。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハは神のために曲を書いた。
バッハの音楽においては神が究極の聴き手であり、
神に音楽を捧げることで、バッハは人間としての完成をめざした。

topへ

蛭田瑞穂 15年10月25日放送

151025-02

音楽と人 バッハとコーヒー

18世紀の初頭、音楽は教会で演奏されるものだった。
その時代にバッハは街のコーヒーハウスで演奏会を開き、
音楽の裾野を広げた。

ただ、当時コーヒーハウスは女人禁制。
女性はコーヒーを飲むべきではないという風潮があった。
そんな風潮に反発して詩人のピカンテは
コーヒーはキスより素敵と訴える娘を主人公にした
『おしゃべりはやめて、お静かに』という戯曲を書き、
のちにバッハが曲をつけた。

『コーヒー・カンタータ』とも呼ばれるこの曲、
秋の夜に温かいコーヒーを飲みながら聴いてみたい。

topへ

蛭田瑞穂 15年10月25日放送

151025-03

音楽と人 バッハと国王

1745年、オーストリア王位継承戦争が集結すると、
プロイセン国王フリードリヒは宮廷に62歳のバッハを招いた。

バッハが到着すると国王は
「皆の者、老バッハが参ったぞ」と叫び、大いに歓迎し、
ピアノの演奏をバッハに依頼した。

国王の求めに応じて、バッハはみごとな即興演奏を披露した。
素晴らしい演奏に、その場にいる誰もが息を呑んだ。

のちにバッハは演奏を楽譜に起こし、
あらたに書き下ろした曲とともに国王に贈った。

バッハ最晩年の傑作『音楽の捧げもの』は
こうして出来上がった。

topへ

森由里佳 15年10月25日放送

151025-04

音楽と人 感情と音楽:レナード・バーンスタイン

 何よりもすばらしいのは、
 音楽が伝えることのできる感情の種類は無限だということである。
 言葉で表現できない深い感情までも、音楽は明確に示してくれる。

 
そう語ったのは、ピアニスト、指揮者として
世界に名を知られるレナード・バーンスタイン。
 
このことは、彼が手がけたミュージカル、
つまり、音楽によって物語を紡ぐ作品を見るとよくわかる。
 
たとえば、ウエストサイドストーリー。
プロローグでは若者グループの対立が音楽にのせて描かれるが、
彼らの感情を表現する言葉は、ゼロといってもいいほどだ。

言葉は、人だけが操ることができる。
音楽もまた然り、である。

topへ

森由里佳 15年10月25日放送

151025-05
GUiBOY
音楽と人 体験と音楽:高木正勝

『おおかみこどもの雨と雪』、『バケモノの子』など
多くのヒット映画を音楽で支えるアーティスト、高木正勝。
 
彼は、国内外にかかわらず、自然に近いところで、
昔ながらの生活をする人たちが奏でる音楽に魅了されるという。
 
しかし、その音楽を真似することはできても、
同じ強さの表現に達することは、できないのだそうだ。
 
 元になっている体験がないから出てこないんです。
 山に柴刈りにいったり、火を熾したり、畑をしたり、祭りをしたり。
 自分の身体で体験して初めて「こういうことだったのか」と
 分かるものだらけなんです。

 
仕事の依頼が引きも切らない彼はいま、
兵庫県と京都府の境にある小さな村に住んでいる。

topへ

森由里佳 15年10月25日放送

151025-06
lee.chihwei
音楽と人 人生と音楽:久石譲

久石譲。
その名は多くの音楽とともに日本人の心の中にある。

世界中からのオファーで多忙な彼は、
意外にも、その日常はルーティンワークに占められるという。

 延々とルーティンワークを繰り返していれば、
 苦しくなって、逃げたくなるときはありますよ。
 それでも音楽を続けるのは、僕にとって「音楽」というのは、
 イコール「生きること」だからです。

 
人生が、一日一日を重ねていくように、
音楽もまた、一音一音を重ねて流れゆく。
 
楽譜通りに演奏しても全く同じ音楽にはならないように、
「おなじことを繰り返すだけの毎日」というのも、
本当はないのかもしれない。

topへ

飯國なつき 15年10月25日放送

151025-07

音楽と人 小澤征爾とタクト

小澤征爾。
世界を代表する指揮者である彼が、
タクトを使っていないことにお気づきだろうか。
 
荒々しい曲では、こぶしを突き上げ、
ゆるやかな旋律には、やさしくほぐすような手つきで、指揮をする。
 
きっかけは、あるウイーンでの演奏会。
タクトを自宅に忘れ、急遽用意してもらったタクトもしっくりこず、
手だけで指揮をすることにした。
ところが、オーケストラの団員はだれも、そのことを気づかない。
そこで彼は思い切ってタクトを手放した。

小澤は言う。

 そこの鉛筆、あなた持ってごらん。力がいるでしょう? 
 持っていたら、いろいろと考えなきゃいけない。
 落としちゃいけないとか、飛んでいったら大変だとか。

世界の音楽を操るその手つきは、いつだって柔らかく伸びやかだ。

topへ

飯國なつき 15年10月25日放送

151025-08

音楽と人 フランシス=プーランク

フランシス=プーランク。
20世紀のフランスを生きた作曲家。
 
生粋のパリっ子であり都会人であった彼の曲は、
ユーモアとアイロニー、そして知性にあふれている。
二度の大戦に従事したが、厳しい時代に生きたことを感じさせないほど
軽やかな音楽を奏で続け、「エスプリの作曲家」と言われた。
 
 私の音楽を分析するな、愛せよ!
 
そう言い切るプーランク。
小難しく考えない。
楽しいことには、楽しく向き合ってみる。
時にはそう考えた方が、人生はちょっと楽しくなる気がしませんか。

topへ


login