2015 年 10 月 のアーカイブ

澁江俊一 15年10月04日放送

151004-07
Dick Thomas Johnson
広辞苑を愛した作家

幼い頃、国文学者の父の書斎に行っては
広辞苑を取り出し、床に座ってめくっていた。
まだ読めなくても、その分厚さや重み、
ひんやりした紙の手触りや、インクの匂いを楽しんでいた。

そう語るのは、作家の三浦しをん。
辞書の編集という大仕事を丹念に取材した
小説「舟を編む」は本屋大賞を受賞し、映画にもなった。

取材中、三浦は
とある広辞苑の編集者に趣味を聞いた。
彼は、こう答えた。

「駅のホームにあふれた人が
エスカレーターに整列して
吸い込まれていくのを見るのが好きです」

こんなにも愛すべき人が、
正しい日本語を決めている。

感動した三浦はその言葉を、
主人公の趣味にそのまま採用した。

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奥村広乃 15年10月04日放送

151004-08
torisan3500
はじまりとおわり

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日、10月4日生まれの言語学者である。

詩人であり作家の高見順は、ある時、こう語った。

戦前の辞書は「愛」から始まり
「女(をんな)」に終わった。
戦後の辞書は「愛」に始まり
「腕力」に終わる。

どうやら、これは高見の創作であるらしい。
辞書のはじまりは「愛」ではない。
終わりは「女」でも「腕力」でもない。

では、本当の始まりと終わりは?
ぜひ、お手元の広辞苑で確かめてみてほしい。

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佐藤延夫 15年10月03日放送

151003-01
Alpsdake
井上井月と伊那谷

時は幕末。
信州の山深い伊那谷にぶらりとやってきた男がいた。
家を持たず、妻も子もない。
知り合った人の家に泊めてもらうか
お寺の境内で夜露をしのぎ、
30年という歳月を過ごした。
漂泊の俳人、井上井月は
行く先々で句を読み、その対価として
食べ物や酒をわけてもらい暮らした。
この地に辿り着くまで、彼が何をしていたのか
はっきりわかっていない。
ただ残されているのは、
あちこちの家の蔵に眠っていた1800以上の俳句だった。

  誰やらが 身を泣きしとや 秋の月

井月の秋は、静かに暮れていく。

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佐藤延夫 15年10月03日放送

151003-02

井上井月と酒

漂泊の俳人、井上井月は
いつも腰に瓢箪をぶら下げていた。
周りからは、井月がやってきたら金を渡しても無駄。
瓢箪に酒を詰めてやると喜んで帰る、とまで言われた。
俳句の弟子が造り酒屋の息子とわかると
そこに半年ほど泊まり込み、
どこに行っても勧められるだけ呑んだ。
「酒上々」「銘酒馳走」「酒粗末」など、
こっそり評価をつけていたから恐ろしい。
そんな毎日だから、
酒にまつわる句は山のように残っている。

  一枝は 肴代りや 菊の花

  紅葉見に 又も借らるゝ 瓢かな

見えるもの全てが、酒のアテになってしまうのだ。

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佐藤延夫 15年10月03日放送

151003-03
Ad Blankestijn
井上井月と食べ物

漂泊の俳人、井上井月。
奥深い信濃の伊那谷に入る前は
江戸や京都などを放浪していたようだ。
食べ物にまつわる俳句が、
当時、何を食していたか教えてくれる。
たとえば甘鯛、初鰹、鮟鱇、海鼠、蓴菜、そして河豚。
意外と贅沢な食事が多かった。
そして信濃では、猪を意味する「山鯨」、
伊那谷で正月に必ず食べる「とろろ汁」など
地元らしい料理が句の中に現れる。

  新蕎麦に 味噌も大根(だいこ)も 褒められし

  松茸や 薪拾いの 狐福

思いがけない幸せのことを、狐福と言う。
井月の嬉しそうな顔が、目に浮かぶ。

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佐藤延夫 15年10月03日放送

151003-04
Gert Jan
井上井月と秋

漂泊の俳人、井上井月は
慣れ親しんだ信州、伊那谷で数々の秋の句を詠んだ。

たとえば駒ヶ根の麓に、白い稲の花が咲き誇る景色や
黄金色に輝く稲穂、秋の月。
稲刈りを前に、田んぼから水が引かれていくさま。
夕暮れ、紅葉、そして新しい酒。
言いようのない秋の静けさや寂しさ、喜びを、
五七五の中にそっとしまい込んだ。

  落栗の 座を定めるや 窪溜り

これは、伊那谷を終の棲家にする覚悟をした一句とも言われている。
風を受けて転がる栗が、ここで止まった。

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