2015 年 12 月 のアーカイブ

大友美有紀 15年12月6日放送

151206-03

「作家の犬」壇一雄の言葉の無用な家来

坂口安吾のつてで檀一雄のもとに来た秋田犬ドン。
あんなに哀願したのに、飼い方は人畜雑居。

 ドンの喰い落としをフミが拾えば、
 ドンもまたフミの喰い落としを拾う。

絶え間なく犬がいた家だった。
しかし主が「絶え間なく」家にいた、とは言いがたい。
壇が帰ってくると、犬たちは狂喜して駆けつけ、とびつく。
壇は、犬たちを叱らない。
愉快そうに笑いながら、背中を叩いて
わかった、わかった、お前さんは、エライよと言う。
子どもたちも、言葉が達者になる前は、
同じように言われていた。

「火宅の人」に
 私は、言葉の無用な家来共が大勢いる
という一節がある。

子どもも犬も、言葉は無用。
この家来共に大勢囲まれていた時期が、
壇にとって、いちばん幸せだったのではないかと、
娘のフミは、振り返る。

topへ

大友美有紀 15年12月6日放送

151206-04

「作家の犬」川端康成の犬のお産

ノーベル賞作家・川端康成は
「愛犬も書斎の一部」といわれるほど
実に沢山の犬を飼っていた。
特に、牝犬を好んだ。
お産に立ち合い、へその緒を切ってやった子犬を
育てることに、犬を飼う醍醐味を感じていた。

 私は人間と暮らすよりも、
 動物と暮らす方が安らかなのです。
 人間の子どもを育てるよりも、
 犬の子を育てる方が安らかなのです。
 自分の子どもを産むよりも
 他人を貰うほうが安らかなのです。

生涯実子のなかった川端は、
犬に子への思いを託したのかもしれない。

topへ

大友美有紀 15年12月6日放送

151206-05

「作家の犬」志賀直哉のクマ

白樺派を代表する小説家、志賀直哉。動物が好きだった。
たくさんの鳥、猿、そして多くの種類の犬を飼っていた。
ベタベタするのは苦手で、動物をなでることなどしない。
東京へ越したばかりの頃、クマという雑種の犬がいなくなった。
その時の様子を志賀の息子は覚えている。

 たまたまバスの中から親父がクマを見つけました。
 すると親父はいきなりバスを急停車させて飛び降り、
 追いかけていってつかまえました。
 僕は恥ずかしいからそんなことできなかったけれど、
 後から考えると一緒にいた僕は
 もう中学生だったんだから、 
 僕に行かせればよかったのにと、
 そんなことを思いました。

 
簡素で無駄のない文章を書き、
多くの文学者から理想とされた作家の意外な行動。
「小説の神様」は、犬の前では、愛情あふれる市井の男だった。

topへ

大友美有紀 15年12月6日放送

151206-07

「作家の犬」林芙美子のペット

放浪の女流作家、林芙美子。
極貧に耐えながら、詩や小説をを書き続けた。
昭和5年、家賃50円の西洋館に移り住む。
警官の月給が30円の時代。
周囲は反対したが、芙美子は
「借りてしまえばなんとかなるもんだ」と押し切った。
この西洋館は、なんと犬つきの物件だった。
雑種の大きな黒い牡犬。名前は、ペット。

  私が鼻歌でも歌って芝生に寝転がっていると、
  もう喜んで私の体にチョッカイを出しにくる。
  怒った顔をして、つったっていると、 
  こいつも空を見上げてぼんやりつったっている。

この家に越してすぐ刊行した「放浪記」はベストセラーになった。
書斎にこもって原稿を書き続け、一段落すると犬と遊ぶ。

ペットは、芙美子に安らぎと成功をくれた福犬だった。

topへ

大友美有紀 15年12月6日放送

151206-08
Alberto Carrasco Casado
「作家の犬」黒澤明のレオ

日本映画界の巨匠、黒澤明が溺愛した
セントバーナード、レオ。
遭難救助犬の習性だろうか、
パタリと倒れるとズボンの裾を引っぱって
一生懸命助けようとする。
その様子が可愛くて、子どもたちは、
ふざけて倒れて遊んでいる。
すると黒澤の雷が落ちる。
 
 レオは真剣に助けようとしてるんだ!
 ふざけて倒れるのは、やめろ!

レオの顔見たさに、仕事が終われば真っすぐに帰る。
庭で毎日のように、じゃれあって遊ぶ。
レオの自慢話になると、止まらない。

ただ、レオとって東京の夏は暑すぎた。
年老いて体力が落ちたレオを、北海道に預けることにした。
旅立つ日、セカイの黒澤の背中は、小刻みに震えていた。

日本映画界を支えた男を、支えた犬だった。

topへ

佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-01

指揮者の哲学 ブルーノ・ワルター

20世紀を代表するドイツの指揮者、ブルーノ・ワルター。
激情型のマエストロが多かったこの時代において、彼は異質の存在だった。
自らのことを「教育的指揮者」と喩えるように、
温和にして感情を表に出さず、その姿は心やさしき教師のようである。
そうは言っても、彼の言葉の端々には苦労がにじみ出ている。

  オーケストラはまるで百の頭を持つ竜である。
  彼らを思うままに操るのは容易なことではない。

ナチスに追放され、ヨーロッパを転々し
ついにはアメリカに逃れたワルター。
命の危険にさらされながらも、ステージではオーケストラと対峙していた。

topへ

佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-02

指揮者の哲学 レオポルド・ストコフスキー

イギリス出身の指揮者、レオポルド・ストコフスキー。
「音の魔術師」あるいは「非正統派の筆頭」と言われるように、
彼の演奏スタイルはかなり個性的だった。
曲のテンポを独自の解釈で自在に変更し、
批評家を敵に回すことも多かったという。
そして演奏のときにタクトを持つことはなかった。

 1本の指揮棒よりも、10本の指のほうが豊かな表現ができる。

ストコフスキーは、レコーディングにも積極的だった。
オーケストラの楽器の配置を、
録音しやすい現在のスタイルに変えたのも彼の功績である。

topへ

佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-03

指揮者の哲学 オットー・クレンペラー

ドイツの指揮者、オットー・クレンペラー。
演奏では、情緒的な美しさよりも、
ゆったりとしたテンポの中に独自の世界観をつくりあげた。

逸話の多い男だった。
厳格そうな風貌でありながら、女好き。
脳腫瘍に躁鬱病。そして、度重なる怪我にも見舞われた。
後頭部からステージに転落したこともあったが、
そのたびに不死鳥のように復活を遂げた。
練習ではオーケストラに怒鳴り散らし、
演奏中も観客と口論する。
そんな彼が残した言葉。

  指揮とはどんなことかと問われても答えることはできない。
  なぜなら、指揮というものは自分自身で掴み取るものだからだ。

目を閉じてタクトを振る独特の姿は、指揮者よりも
独裁者という言葉がよく似合う。

topへ

佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-04

指揮者の哲学 アルトゥーロ・トスカニーニ

イタリアの指揮者、アルトゥーロ・トスカニーニ。
徹底的な楽譜至上主義で、正確なテンポを刻んだ。
だがそれは、ただ忠実に演奏することではない。
オーケストラそのものが生きる楽譜となり、
音と同化することを求めた。
リハーサルでは指揮棒を折り、スコアを破り、
あらゆるものを床に投げつける。
そんな魂のやりとりで生まれた曲が、人を感動させない理由がない。
だが、本人は淡々とこんなことを言っている。

  私は偉大でもなんでもない。
  ただ他人の作品を指揮していただけだ。

トスカニーニは、極度の近眼のため、楽譜を読まずに暗記していた。
合奏曲は250曲、オペラは100曲以上記憶していたという。
だが1954年に行われた演奏会の途中、
記憶障害で指揮を止めてしまう。
彼がタクトを置いたのは、その直後のことだった。

topへ

佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-05

指揮者の哲学 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

ドイツの指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。
彼の演奏の特徴は、緩急自在なテンポ、そして豊かな表現力。
だが、エモーショナルに過ぎることもあり、
ライバルのトスカニーニから「天才的素人」という微妙な言われ方もしている。
ライヴで本領を発揮し、レコーディングを嫌っていたフルトヴェングラー。
そんな彼らしい言葉が残っている。

  どのような作品であっても、どんな響きが出てくるかは
  その瞬間でなければわからない。

ナルシシズムとも評されるフルトヴェングラーの演奏スタイルだが、
音楽は生き物だ、という視点に立つと、彼のやり方は間違いなく正しい。

topへ


login