大友美有紀 16年1月3日放送
「小林一三」 大衆芸術
阪急電鉄の創業者であり、宝塚歌劇の生みの親でもある
小林一三は、常に「大衆のために」何が出来るかを考えていた。
昭和七年、本格的な東京進出を試み、
東京宝塚劇場を設立。
家族で楽しめる娯楽の中心地帯を創らねばと考え、
拠点を日比谷に定めた。
それまでの個人で楽しむ娯楽の中心地は、
カフェや売春屈が出来たりと悪くなる傾向にあったからだ。
日比谷には公園があるのみならず、公会堂があり、
図書館があり、隣には帝国ホテル、そうして幸い
あの付近に空き地がたくさんある。
東京宝塚劇場のモットーは、
「大衆芸術の陣営、家庭共楽の殿堂」。
会社員が仕事帰りに来られるよう公演時間を、
平日は夜六時から十時までとした。
観覧料も安くし、当日券も販売した。
伝統的な芸能や松竹とは、違うやり方だ。
結果、他社と摩擦なく事業を展開できた。
いや、それは一三の目論見通りだったのかもしれない。