Idhren
川久保玲の哲学
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
70年代から現在まで
第一線で活躍するファッションデザイナー、
川久保玲は、慶應義塾で哲学を学んだ。
他の人と同じ服を着て、
そのことに何の疑問も抱かない。
現状を打ち破ろうという意欲が
弱まってきた風潮に危惧を感じます。
そう語る彼女の服づくりは
安易な正解にとどまることなく
常にまだ見ぬ世界を探し続ける。
まさに、哲学そのものだ。
Idhren
川久保玲の哲学
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
70年代から現在まで
第一線で活躍するファッションデザイナー、
川久保玲は、慶應義塾で哲学を学んだ。
他の人と同じ服を着て、
そのことに何の疑問も抱かない。
現状を打ち破ろうという意欲が
弱まってきた風潮に危惧を感じます。
そう語る彼女の服づくりは
安易な正解にとどまることなく
常にまだ見ぬ世界を探し続ける。
まさに、哲学そのものだ。
Junkyardsparkle
井深大の発明
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
トランジスタラジオやウォークマンなど
時代を変える製品を次々と世に送り出した
ソニーの創業者、井深大は、
早稲田大学の理工学部出身。
学生時代すでに、
ネオン管に高周波電流を流して
周波数を変えると、
光が伸び縮みすることを発見。
後に「走るネオン」として特許を取得し、
パリ万国博覧会で金賞を受賞した。
革新は、実は、たわいのない夢を、
大切にすることから生まれる。
そう語った井深の学生時代は、
たわいのない夢にあふれていた。
Rubber Soul
つかこうへいの自由
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」
などで一斉を風靡した演出家、つかこうへい。
慶應の学生でありながら
早稲田の劇団で活躍した、つかの演出方法は、
稽古中に新たなセリフを次々生み出し、
役者に伝える「口立て」。
初日と楽日でセリフが変わる。
その自由さに、観客は酔いしれた。
いつか、こうへいに
という世の中への願いを込めた
彼の名前。
自由で情熱的なつか演出は、
今も多くの俳優たちの演技の中に生きている。
山頭火の孤独
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
まっすぐな道でさみしい
また見ることもない山が遠ざかる
など、5・7・5に捉われない、
自由律俳句で知られる種田山頭火。
20歳で早稲田の文学部に入学したが、
神経を病み、2年後に中退。
故郷の山口に帰るも、事業に失敗。
妻子とも別れてしまう。
どうしようもないわたしが歩いている
酔うてこうろぎと寝ていたよ
もし山頭火が何事もなく早稲田を卒業していたら…
こんなにもさみしく美しい句の数々が、
生まれていただろうか?
塾生 (talk)
遠藤周作の失敗
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
「沈黙」「深い河」など
日本人のキリスト信仰を描いた重厚な作品で
ノーベル文学賞候補とも言われた遠藤周作。
その青春時代は不遇だった。
ことごとく受験に失敗し
慶應の文学部予科に補欠で合格。
医学部を受けると思っていた父に、
勘当を言い渡される。
ちょうど終戦の頃である。
人生も、日本も、先が見えないまま、
遠藤はカトリック文学に傾倒し、
自らの文学のテーマを見出していく。
すべてが望み通りにいかない
学生時代の遠藤に、
神は何を語りかけていたのだろう?
Dick Thomas Johnson
今村昌平のリアリズム
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
「楢山節考」、「うなぎ」で
日本人で唯一、カンヌ映画祭の最高賞パルムドールに
2度も輝いた映画監督、今村昌平。
実は今村、早稲田の学生時代は演劇部だった。
しかし黒澤明の「酔いどれ天使」に感動し、
映画の道へと転向する。
徹底的な取材。
現場での同時録音へのこだわり。
今村映画のリアリズムは、
確かに演劇と、つながっている。
石原裕次郎の放蕩
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
おしゃれでスマートな
イメージで語られる慶應ボーイ。
昭和を代表する慶應ボーイと言えば
石原裕次郎だ。
もともと俳優を目指していた裕次郎。
喧嘩、タバコ、酒と
放蕩の限りを尽くしていたからか、
在学中に受けたオーディションは
すべて不合格。
しかし兄、慎太郎の小説「太陽の季節」で
映画デビューを飾ると
たちまち日本を熱狂させるスターになる。
遊びを知り尽くした裕次郎のやんちゃさは、
日本の映画界には未曾有の衝撃だった。
宗兄弟 「誕生」
63年前の今日、世界一有名な
双子のマラソンランナーが生まれた。
宗茂・猛の「宗兄弟」。
1980年代、瀬古利彦とともに
日本長距離界をリードした彼らは、
見た目はそっくりなのに中身は正反対だった。
兄の茂は大雑把で天才肌。
練習より調整
と感性のまま走った。
一方、几帳面で努力家な弟の猛は
練習あるのみ
とひたすらトレーニングに励んだ。
兄弟で出場したマラソン大会は22回。
勝ち星は茂が12回、猛が10回とほぼ同数。
ちなみに茂は左利き、猛は右利きと、
利き手も正反対だそうだ。
Real Cowboys Drive Cadillacs
宗兄弟 「茂」
世界一有名な双子のマラソンランナー
「宗兄弟」の兄、宗茂。
現役引退後、監督に就任した彼の元に、
一人の気功師から手紙が届いた。
正直興味はなかったが、
選手たちのケガや故障の助けになればと、
茂はすがる思いでその気功師を訪ねた。
しかし彼はそこで
自分の気功の才能に目覚めてしまう。
監督の職を弟の猛に譲った後、
大学で東洋医学を学び、地元宮崎に
気功の診療所を開いたのは8年前のこと。
心や体の弱った人を助けてあげたい
そう言う彼の診療所には
全国から大勢の患者が訪れるという。
宗兄弟 「猛」
世界一有名な双子のマラソンランナー
「宗兄弟」の弟、宗猛。
タッチの差でこの世に生まれた性なのか、
猛はレースではいつも兄・茂の背中を追い続けた。
しかし1983年の東京国際マラソンで
茂の自己最高記録を抜くと、1984年のロス五輪では
日本のトップ瀬古利彦を降し4位入賞を果たす。
さらに茂の引退後も現役を続行。
兄より9年も長く走り続けた。
天才肌の兄と努力家の弟。
どちらが優れた選手かはわからない。
ただ、ひたすら走り続けるその後ろ姿は、
努力は決してムダではないことを
私たちに教えてくれる。
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