2016 年 1 月 のアーカイブ

澁江俊一 16年1月10日放送

160110-02
Idhren
川久保玲の哲学

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

70年代から現在まで
第一線で活躍するファッションデザイナー、
川久保玲は、慶應義塾で哲学を学んだ。

 他の人と同じ服を着て、
 そのことに何の疑問も抱かない。
 現状を打ち破ろうという意欲が
 弱まってきた風潮に危惧を感じます。

そう語る彼女の服づくりは
安易な正解にとどまることなく
常にまだ見ぬ世界を探し続ける。
まさに、哲学そのものだ。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-03
Junkyardsparkle
井深大の発明

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

トランジスタラジオやウォークマンなど
時代を変える製品を次々と世に送り出した
ソニーの創業者、井深大は、
早稲田大学の理工学部出身。

学生時代すでに、
ネオン管に高周波電流を流して
周波数を変えると、
光が伸び縮みすることを発見。
後に「走るネオン」として特許を取得し、 
パリ万国博覧会で金賞を受賞した。

 革新は、実は、たわいのない夢を、
 大切にすることから生まれる。

そう語った井深の学生時代は、
たわいのない夢にあふれていた。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-04
Rubber Soul
つかこうへいの自由

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」
などで一斉を風靡した演出家、つかこうへい。
慶應の学生でありながら
早稲田の劇団で活躍した、つかの演出方法は、
稽古中に新たなセリフを次々生み出し、
役者に伝える「口立て」。
初日と楽日でセリフが変わる。
その自由さに、観客は酔いしれた。

いつか、こうへいに
という世の中への願いを込めた
彼の名前。

自由で情熱的なつか演出は、
今も多くの俳優たちの演技の中に生きている。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-05

山頭火の孤独

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

まっすぐな道でさみしい

また見ることもない山が遠ざかる

など、5・7・5に捉われない、
自由律俳句で知られる種田山頭火。

20歳で早稲田の文学部に入学したが、
神経を病み、2年後に中退。
故郷の山口に帰るも、事業に失敗。
妻子とも別れてしまう。

 どうしようもないわたしが歩いている

 酔うてこうろぎと寝ていたよ

もし山頭火が何事もなく早稲田を卒業していたら…
こんなにもさみしく美しい句の数々が、
生まれていただろうか?

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-06
塾生 (talk)
遠藤周作の失敗

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

「沈黙」「深い河」など
日本人のキリスト信仰を描いた重厚な作品で
ノーベル文学賞候補とも言われた遠藤周作。

その青春時代は不遇だった。
ことごとく受験に失敗し
慶應の文学部予科に補欠で合格。
医学部を受けると思っていた父に、
勘当を言い渡される。
ちょうど終戦の頃である。

人生も、日本も、先が見えないまま、
遠藤はカトリック文学に傾倒し、
自らの文学のテーマを見出していく。

すべてが望み通りにいかない
学生時代の遠藤に、
神は何を語りかけていたのだろう?

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-07
Dick Thomas Johnson
今村昌平のリアリズム

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

「楢山節考」、「うなぎ」で
日本人で唯一、カンヌ映画祭の最高賞パルムドールに
2度も輝いた映画監督、今村昌平。

実は今村、早稲田の学生時代は演劇部だった。
しかし黒澤明の「酔いどれ天使」に感動し、
映画の道へと転向する。

徹底的な取材。
現場での同時録音へのこだわり。
今村映画のリアリズムは、
確かに演劇と、つながっている。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-08

石原裕次郎の放蕩

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

おしゃれでスマートな
イメージで語られる慶應ボーイ。
昭和を代表する慶應ボーイと言えば
石原裕次郎だ。

もともと俳優を目指していた裕次郎。
喧嘩、タバコ、酒と
放蕩の限りを尽くしていたからか、
在学中に受けたオーディションは
すべて不合格。

しかし兄、慎太郎の小説「太陽の季節」で
映画デビューを飾ると
たちまち日本を熱狂させるスターになる。

遊びを知り尽くした裕次郎のやんちゃさは、
日本の映画界には未曾有の衝撃だった。

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佐藤理人 16年1月9日放送

160109-01

宗兄弟 「誕生」

63年前の今日、世界一有名な
双子のマラソンランナーが生まれた。

宗茂・猛の「宗兄弟」。

1980年代、瀬古利彦とともに
日本長距離界をリードした彼らは、
見た目はそっくりなのに中身は正反対だった。

兄の茂は大雑把で天才肌。

 練習より調整

と感性のまま走った。
一方、几帳面で努力家な弟の猛は

 練習あるのみ

とひたすらトレーニングに励んだ。

兄弟で出場したマラソン大会は22回。
勝ち星は茂が12回、猛が10回とほぼ同数。

ちなみに茂は左利き、猛は右利きと、
利き手も正反対だそうだ。

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佐藤理人 16年1月9日放送

160109-02
Real Cowboys Drive Cadillacs
宗兄弟 「茂」

世界一有名な双子のマラソンランナー
「宗兄弟」の兄、宗茂。

現役引退後、監督に就任した彼の元に、
一人の気功師から手紙が届いた。

正直興味はなかったが、
選手たちのケガや故障の助けになればと、
茂はすがる思いでその気功師を訪ねた。

しかし彼はそこで
自分の気功の才能に目覚めてしまう。

監督の職を弟の猛に譲った後、
大学で東洋医学を学び、地元宮崎に
気功の診療所を開いたのは8年前のこと。

 心や体の弱った人を助けてあげたい

そう言う彼の診療所には
全国から大勢の患者が訪れるという。

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佐藤理人 16年1月9日放送

160109-04

宗兄弟 「猛」

世界一有名な双子のマラソンランナー
「宗兄弟」の弟、宗猛。

タッチの差でこの世に生まれた性なのか、
猛はレースではいつも兄・茂の背中を追い続けた。

しかし1983年の東京国際マラソンで
茂の自己最高記録を抜くと、1984年のロス五輪では
日本のトップ瀬古利彦を降し4位入賞を果たす。

さらに茂の引退後も現役を続行。
兄より9年も長く走り続けた。

天才肌の兄と努力家の弟。
どちらが優れた選手かはわからない。

ただ、ひたすら走り続けるその後ろ姿は、
努力は決してムダではないことを
私たちに教えてくれる。

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