バカヤロー解散
今日はバカヤローの日。
総理大臣が国会でバカヤローと発言して
解散のきっかけになった日。
張本人は、吉田茂。
戦争の危機が遠ざかりつつあるという
アメリカ、イギリス首相らの発言に同感だと語り、
他国の翻訳でなく自分の意見を言いなさい、
と煽られて生まれた言葉だ。
くだんのバカヤローは
実は吉田のつぶやきを
マイクが拾ってしまったもの。
1953年のこの年、テレビ放送がスタート。
テクノロジーの進化が
生み出した悲劇とも、言えるだろう。
バカヤロー解散
今日はバカヤローの日。
総理大臣が国会でバカヤローと発言して
解散のきっかけになった日。
張本人は、吉田茂。
戦争の危機が遠ざかりつつあるという
アメリカ、イギリス首相らの発言に同感だと語り、
他国の翻訳でなく自分の意見を言いなさい、
と煽られて生まれた言葉だ。
くだんのバカヤローは
実は吉田のつぶやきを
マイクが拾ってしまったもの。
1953年のこの年、テレビ放送がスタート。
テクノロジーの進化が
生み出した悲劇とも、言えるだろう。
Rubber Soul
バカヤローの天才
2月28日。
今日はバカヤローの日。
底抜けにバカヤローであろうとした
漫画『天才バカボン』の作者、赤塚不二夫。
彼はこんな言葉を残している。
「バカっていうのは自分がハダカになることだ。
世の中の常識を無視して、
純粋な自分だけのものの見方や生き方を
押し通すことなんだよ。」
彼の描くギャグ漫画に登場するキャラクターが
笑いを誘いながらも、時にかっこ良く見えるのは、
ハダカになって「自分らしさ」を存分に
ぶつけてくるからかもしれない。
viinzography
世界を変えたバカヤロー
2月28日。
今日はバカヤローの日。
Appleコンピュータの創業者スティーブ・ジョブズ。
彼は常に当たり前のことに疑いの目を向け、
規制概念を壊してきた。
音楽CDを買うことが当然だった時代に、
データを流通させる大規模なプラットフォームiTunesを構築。
携帯電話のキーボード方式を一切排除して、
タッチ式のスマートフォンiPhoneを作った。
あまりにも馬鹿げた話をすると、
ジョブズを批判する部下も多かったという。
ジョブズは、スタンフォード大学のスピーチでこう語った。
ハングリーであれ。愚か者であれ。
今や誰もがスマートフォンを持ち、
データで音楽を聴く時代になった。
愚か者が世界を変えたのだ。
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バカヤローとロックンロール
2月28日。
今日はバカヤローの日。
「愛し合ってるかい?」
奇抜な風貌で、
愛と平和を歌い続けたロックンローラー、
忌野清志郎。
本名は栗原清志。
その中身は、誰よりも純粋無垢。
心の底からにじみ出る詞で、貫く信念を、
真剣に、そして時におどけるように歌う。
バンドマンは、どんなにまずしくたって
働いちゃいけないんだぜ!
常に世の中のために、
「忌野清志郎」であり続けたその男は、
愛すべきバカヤローである。
幕末のバカヤロー
2月28日。
今日はバカヤローの日。
幕末の志士吉田松陰。
彼は行動派だった。
ペリーが黒船に乗ってやってきたときも
「自分の目で海外を見てみたい」と弟子と共に小舟で漕ぎ出し
「自分をアメリカに連れて行け」と交渉に向かった。
当然船を追い出されてしまうが
後にペリーにその好奇心と知識欲を高く評価されたほどだ。
そんな松陰は次世代の者たちに向けて、
こんな言葉を残している。
諸君、狂いたまえ。
現状に満足せず、
常識という壁をいつも自らの行動で壊す。
バカヤローともいうべき
ほとばしる熱い思いが、時代を変えるのだ。
バカヤローの曲作り
2月28日。
今日はバカヤローの日。
“何てモノを作っちゃったんだ。これで俺の人生は終わりだ”
若い頃、アルバムを完成させる度に
こう嘆いていたのは山下達郎。
「Ride on time」、「Melodies」
アルバムに収録された名曲たちに、
山下は一度もOKを出したことはない。
常に最後の1秒まであがいて、
タイムアップと同時に曲ができる。
ライブにおいても、
楽しんで演奏したことなど一度もないと言う。
バンドマスターとして、完璧に演奏がなされているか
気になって仕方ないのだ。
そんな職人気質で、バカがつくほどの生真面目さが、
山下の愛される理由でもある。
バカヤローの系譜
2月28日。
今日はバカヤローの日。
渥美清、萩本欽一、ビートたけしなど
日本を代表するコメディアンが
師と仰ぐ男、深見千三郎。
浅草のストリップ劇場の幕間で
不自由な手でギターをかき鳴らし
タップダンスとコントで観客を笑わせた。
世話好きで洒落者で人情家、弟子たちに愛された
深見の口癖は「バカヤローコノヤロー」
今はたけしの口癖だと思われているが
おそらく彼も若い頃さんざん聞かされた
愛ある師匠の口癖なのだ。
クワトロ@JZA80
元気になるバカヤロー
2月28日。
今日はバカヤローの日。
おそらくもっともバカヤロー!と
言われてみたい男といえば、アントニオ猪木。
彼は試合前のインタビューで
こう語ったことがある。
「出る前に負けること考えるバカいるかよ」
負けようと思って挑むな。
プロレスだけではなく、すべての勝負に言えること。
人生には何度も勝負のタイミングが訪れる。
不安に思うこともあるだろう。
そんな時は、猪木の
バカヤロー!が元気をくれる。
イパネマの男① 「ボサノヴァ」
1957年のある晩、ブラジルの作曲家
アントニオ・カルロス・ジョビンは、
歌手ジョアン・ジルベルトのステージを見て閃いた。
これだ!
彼の囁くような歌い方とサンバのギターこそ、
自分の理想の音楽を体現してくれるに違いない。
二人は早速レコーディングを開始。
1959年に発売されたアルバムの解説で、
ジョビンはジルベルトのことを
ボサノヴァ(新しい才能)
と呼んだ。
それはジョビンの造語であったが、
彼の音楽がその名前で呼ばれるのに
さほど時間はかからなかった。
イパネマの男② 「イパネマの娘」
1962年のある日、ブラジルの作曲家
アントニオ・カルロス・ジョビンは、
作詞家ヴィニシウス・ヂ・モライスと
イパネマの海岸通りにあるバーに座っていた。
ぼんやり窓の外を眺めていると、
散歩をする一人の少女が見えた。
そのあまりの美しさに、
二人は即興で曲を書き始めた。
彼女が歩いているだけで
この世は愛を知り
すべてが美しく光り輝く
ボサノヴァの名曲「イパネマの娘」の
モデルになった少女の名前は、
エロイーザ・ピニェイロ。
近所でも有名な美少女だったそうだ。
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