TSUNEAKI HIRAMATSU
紫陽花 朔太郎
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
前橋出身の詩人、萩原朔太郎は
心を紫陽花に例えた詩を書いた。
よころびの日の底には
さびしかったりつらかったりした思い出が
沈んでいるのだろう。
どんなに青いアジサイの花も
枯れる間際には赤みを帯びるという。
朔太郎のふるさと前橋では
明日19日からアジサイ祭りが開催される。
TSUNEAKI HIRAMATSU
紫陽花 朔太郎
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
前橋出身の詩人、萩原朔太郎は
心を紫陽花に例えた詩を書いた。
よころびの日の底には
さびしかったりつらかったりした思い出が
沈んでいるのだろう。
どんなに青いアジサイの花も
枯れる間際には赤みを帯びるという。
朔太郎のふるさと前橋では
明日19日からアジサイ祭りが開催される。
Yamaguchi Yoshiaki
紫陽花 蛍
アジサイの季節は蛍の季節でもある。
日が落ちて
川沿いのアジサイの道を行けば
輪郭もおぼろになった花の下に
いくつもの小さな光が集まっている。
ああ、これも花か。夜に咲く光の花か。
そんな情景を詠んだのだろう。
藤原定家のアジサイの歌がある。
あじさいの 下葉にすだく蛍をば
四ひらの数の添うかとぞ見る
ここに「四ひらの数」と詠まれた花びらは
実は花びらではなく
アジサイの萼の部分らしいのだが、
美しさを鑑賞するとき、
そんな知識は忘れておこう。
kazutan3@YCC
紫陽花 アジサイ寺
アジサイ寺のアジサイを植えたのは誰だろう。
アジサイの季節に
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
北鎌倉のアジサイ寺、明月院は
第二次世界大戦後に参道を整備する杭が足りず、
杭の代わりにアジサイを植えたのがはじまりだそうだ。
丹波のアジサイ寺、観音寺は
およそ50年前のご開帳の記念に植えた1万株のアジサイが
すくすく育って
いまではアジサイ寺と呼ばれるようになっている。
松本市のアジサイ寺、法船寺は (ほうせんじ)
40年ほど前からみんなでアジサイを植えはじめた。
アジサイの花の向こうに見えるのは北アルプス。
夕焼けに染まると誰もが息を呑む。
アジサイのある風景を作ってくれた人に感謝しよう。
さちどん
紫陽花 アジサイ祭り
アジサイの名所を調べたら
東京だけで、あっという間に10カ所を超えた。
神社のアジサイ、遊園地のアジサイ、
植物園のアジサイ。
白いアジサイを集めた斜面もあれば
池のほとりに咲くアジサイもある。
そういえば、
上野の不忍池にもアジサイの群落があって
歩く人の目を楽しませているし
墨田川沿いの隅田公園には2kmほどのアジサイロードがあった。
ビルに囲まれて咲くアジサイは
梅雨空の下にともった灯りのようだ。
KYR
紫陽花 盗人
むかし、
愛知県蒲郡の形原村では(かたのはらむら)
誰にも見つからずに
他所の庭のアジサイを盗んできて玄関に吊すと
一年は災難に遭わずお金もたまるという民間信仰があった。
花の時期になると
村の人々は年に一度の盗みをする。
ときには家の人に見つかって
気まずい思いをすることもあったのだろう。
それを見かねた補陀寺(ふだじ)の住職さんが
「それなら」と言って
お寺にアジサイを植えた。
仏さまがくださるアジサイだ。
村人の罪の意識も少しは軽くなっただろうか。
いまこの村はアジサイの里になり、
補陀寺の周辺には
5万本のアジサイが咲いている。
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