2016 年 6 月 26 日 のアーカイブ

小野麻利江 16年6月26日放送

160626-08
papadont
童謡のはなし たなばたさま

 ささの葉さらさら
 のきばにゆれる
 お星さまきらきら
 きんぎん砂子(すなご)

七夕に欠かせない童謡、「たなばたさま」。

2番までしかない短い唄だが、
歌詞の中には、数々の色彩がつめこまれている。

「きんぎん砂子」の「砂子」は
金箔や銀箔を細かい粉にしたもので、
天の川の細かい星屑のたとえ。

「五色」は、短冊の色の多さを表したものだが、
七夕の発祥・中国の五行説に由来する、
自然現象を抽象化した、五つの色とも考えられる。

 五しきのたんざく
 わたしがかいた
 お星さまきらきら
 空からみてる

梅雨の灰色の曇り空が続いても、
七夕は、どことなく心はずむもの。
さあ、7月はもうすぐ。

topへ

薄景子 16年6月26日放送

160626-07
s.sawada
童謡のはなし あめふり

 あめあめ ふれふれ かあさんが
 じゃのめで おむかい うれしいな

作詞、北原白秋、作曲、中山晋平、「あめふり」
この歌を口ずさむと、憂鬱な雨が
なんだかちょっと楽しくなる。

歌が発表されたのは、1925年。
当時はテレビの天気予報などなく、
空を見て自分で天気を予測した時代。

朝晴れていても、学校の終わりには雨が降りだす。
そんなとき、校門に傘をもって迎えに来る母親の姿は、
どんなに子どもたちをよろこばせたことだろう。
突然の雨は、親子でひとつの「じゃのめ」にはいれる
それはそれは幸福な時間だったのだ。

 ピチピチ チャプチャプ ランランラン

ほら、雨粒まで歌っています。

topへ

石橋涼子 16年6月26日放送

160626-06
dinephoto
童謡のはなし 林柳波の憧れのうみ

海に行くと、海の歌をうたいたくなる。

日本には、静かな海も、激しい海もあるけれど
どの海でくちずさんでも似合うのが、
童謡の「うみ」ではないだろうか。

 うみは ひろいな おおきいな
 つきはのぼるし ひはしずむ

この童謡をつくったのは、
作詞家の林柳波と作曲家の井上武士。
実はこの二人、海のない群馬県の出身なのだ。

だからだろうか。
海の持つシンプルでおおらかな魅力が
すーっと染み込んでくる気がしませんか。

topへ

石橋涼子 16年6月26日放送

160626-05
TAKUMA KIMURA
童謡のはなし 岡野敏明とかえるの合唱

 かえるのうたが きこえてくるよ
 クワ クワ クワ クワ
 ケケケケケケケケ
 クワ クワ クワ

こどもたちの声が重なる輪唱でおなじみ
童謡「かえるの合唱」。
この曲を広めたのは、音楽家の岡野敏明だ。

当時、音楽講師として勤めていた学校に
スイスの教育者ヴェルナー・ツィンメルマン博士が滞在し、
こどもたちにスイスやドイツの音楽を教えていた。
その際に、輪唱を耳にしたのがきっかけだったという。

声の重なりの美しさとおもしろさに心を奪われた岡本は、
作曲が本業だったものの、
試行錯誤して日本のこどもたちに歌いやすい歌詞を考えた。
こうして「かえるの合唱」は日本各地で愛される童謡となった。

メロディはドイツ民謡と言われているが、
不思議なことに、原曲の具体的な存在は謎のままだ。
バッハやチャイコフスキーの楽曲に
似たようなメロディがあるとも言われている。

もちろん、こどもたちはそんなことおかまいなしに、
今日もどこかで歌のおいかけっこを楽しんでいる。

topへ

熊埜御堂由香 16年6月26日放送

160626-04
roberthuffstutter
童謡のはなし ろばの会

童謡には、ひとからひとへ歌い継がれてきたため
作者不明のものや、
文部省唱歌として作者が表に出ていない歌も多い。
そんなこどものための歌に新風を吹き込んだのが
創作グループ「ろばの会」。
頼まれて歌をつくるのではなく、
自分たちの納得のいく音楽をつくろう
と1956年に結成された。

「ぞうさん」で知られる詩人のサトウハチローや、
「めだかの学校」を作曲した中田喜直、
「サッちゃん」などの名曲をつくった
いとこ同士の作詞家、阪田寛夫と、
作曲家、大中恩のコンビなど
多くの作家が集まった。

そんな「ろばの会」の決まり事はただひとつ。
歌を「童謡」とは呼ばずに「こどものうた」とよぶこと。
きっと「こどものうた」を生み出す時、
彼ら自身がこどもの顔をしていたに違いない。

topへ

熊埜御堂由香 16年6月26日放送

160626-03
kbysmnr
童謡のはなし 野口雨情と詩のモデル

童謡界3大詩人といわれた、作詞家の野口雨情。
彼が手がけた、「赤い靴」は、
詩作のモデルになった実在の少女が
作者が亡くなったあとに、新聞の投書から見つかり話題を呼んだ。

そして雨情の代表作である「しゃぼん玉」も
彼自身の、生後1週間で亡くなった
長女への想いを歌っているという説があり、
たしかに、そういわれると、そう聞こえてくる歌詞でもある。

 シャボン玉 飛んだ
 屋根まで飛んだ

 屋根まで飛んで
 こはれて消えた

 生まれてすぐに
 こはれて消えた。

しかし雨情の息子の野口存彌(のぐちのぶや)さんは
長女が亡くなった時期と歌の発表の時期を照らし合わせて、
その説を否定している。

真相はもう亡くなっている本人にしかかわらないのだが、
生前、雨情はこんな言葉を残している。

 詩というものは、それを書いた人の名前は忘れられ、
 その詩だけが残ったとき、
 初めてほんとうのものになる。

topへ

小野麻利江 16年6月26日放送

160626-01
suneko
童謡のはなし おぼろ月夜の舞台

 菜の花畠(はなばたけ)に 入日薄れ
 見渡す山の端 霞深し
 春風そよ吹く 空を見れば
 夕月かかりて 匂い淡し

童謡「おぼろ月夜」。
作詞は、国文学者で作詞家の高野辰之。

こののどかな春の情景は、
高野の生まれ故郷、
長野県下水内郡豊田村が舞台とも、
明治四十二年ごろから居を構えていた、
東京・代々木近くの、
アブラナ畑とも言われている。

どちらにせよ、
明治から大正にかけての日本では、
菜の花畑は、全国各地で見られる情景だった。
今もこの曲が、多くの人々の郷愁をかきたてるのは、
そのせいかもしれない。

topへ

茂木彩海 16年6月26日放送

160626-02
masahiko
童謡のはなし かたつむり

 でんでんむしむしかたつむり
 お前のめだまは どこにある?

紫陽花が咲く季節に馴染み深いこの童謡だが、
冒頭の「でんでんむし」の由来とは、一体何だろう。

古典狂言の一つ「蝸牛」。

長寿の薬になるという「蝸牛(かたつむり)」を探すよう、
主人から命じられた召使い。
ところが、その生き物がどんな形か知らなかったので、
林の中にいた山伏を間違って連れ帰ろうとしてしまい、
「でんでん むしむし」と唄い、呆れられたという。

「でんでんむし」とは、今のことばで、
「出て来い虫」のこと。

晴れた日は居場所もわからないのに、雨が降ればひょろりと顔を出す。
きまぐれかたつむりに会いたくて、今日も誰かが歌を唄う。

topへ


login