小林慎一 16年9月18日放送
首になった生みの親篇
大喜利番組「笑点」は
1966年に立川談志がはじめたが
最初の頃は、実に暗い雰囲気だった。
桂歌丸は、そう語る。
ブラックユーモアー多くしろ。
それ談志の方針だったが
当時の日本ではごく一部のマスコミ関係者
くらいにしか受けなかった。
一般の視聴者からは、むしろ引かれていたという。
そして、談志の方針に反発してメンバー全員が
番組を降板してしまう。
1969年11月に
談志は座布団運びの毒蝮三太夫とともに笑点を去ることになる。
そんな談志だが、その後も笑点には何度か出演している。
10分間の漫談で1時間しゃべり、放送禁止用語を連発。
編集者を大いに困らせたと言う。