2016 年 10 月 9 日 のアーカイブ

森由里佳 16年10月9日放送

161009-01

飛ぶ ピーター・パン

 強く願えば夢は必ず実現する。

これは、ジェームス・マシュー・バリーの言葉だ。
世界中で愛される少年、ピーター・パンの生みの親である。

一見、貪欲な言葉だが、
ジェームスは、作品の中で、おなじことを子供たちに伝えている。
ピーター・パンが、子供たちに飛び方を教える有名なシーンだ。

 Now think of the happiest things.
 It’s the same as having wings!

さあ、とても幸せなことを考えるんだ。
それは翼を持つのと同じことなのだから!

幸せは、子供たちが自由に羽ばたく翼になる。
そう、夢へと飛んでいくための、翼になるのだ。

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森由里佳 16年10月9日放送

161009-02
www.chrisbirds.com
飛ぶ 魔女のキキ

 私 前は何も考えなくても飛べたの
 でも 今は分からなくなっちゃった

ジブリの名作「魔女の宅急便」。
飛べなくなった魔女のキキは、
絵描きの友人ウルスラにこうもらす。

じたばたするしかないと答えるウルスラに、
それでも飛べなかったら?と迫るキキ。
ウルスラは、自分のことに例えてこう言った。

 描くのをやめる。
 散歩したり 景色を見たり…
 昼寝したり 何もしない
 そのうちに急に描きたくなるんだよ

魔女の才能、絵描きの才能、だれかの才能、あなたの才能。
誰だって、飛べなくなることはある。
でも、スランプなんて気にしなくていい。
努力する限り才能がなくなることはないのだから。
宮崎駿だって、こう言っている。

 才能とは、情熱を持続させる能力のこと。

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森由里佳 16年10月9日放送

161009-03

飛ぶ 飛行艇乗りのポルコ・ロッソ

ジブリ作品「紅の豚」には、
飛行艇乗りの主人公、
ポルコ・ロッソの有名な台詞がある。

 「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ。」

誤解されて覚えられていることも多いこのセリフ。
飛べない豚ではなく、飛ばない豚である。
たった一文字の違いだが、その差は大きい。

これは、飛べる・飛べないという、能力の話ではない。
存在意義の話だからだ。

「飛行艇乗りのポルコ・ロッソ」は、
飛んでこその「飛行艇乗りのポルコ・ロッソ」。

そう考えると、宮崎駿が
アニメ制作者のことをこう語るのも、うなずける。

 全部、アニメーションに吸い取られてしまった人間。

ポルコにとっての、飛ぶこと。
それは宮崎駿にとっての、アニメ制作だ。
あなたの「飛ぶ」は、なんですか?

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佐藤日登美 16年10月9日放送

161009-04
4den
飛ぶ 失った右足

義足の走り幅跳び選手、マルクス・レーム。

彼が右足を失ったのは、14歳のとき。
ウエークボードの練習中に転倒。
隣を走るモーターボートのスクリューに足が巻き込まれ、
その三日後、足を切断することになった。

リハビリで入院していたため、15歳の誕生日は病院で迎える。

友だちからの励ましも受け、事故から1年経ったある日、
マルクスは義足をつけてのウエークボードに挑戦する。
そして彼は、再び水の上を跳んだ。
「前と同じ自分になりたい」という彼の願いが前進した瞬間だった。

マルクスが走り幅跳びに挑戦するのは、
もう少し先の話になる。

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佐藤日登美 16年10月9日放送

161009-05

飛ぶ 8メートル40センチ

義足の走り幅跳び選手、マルクス・レーム。

ウエークボードの練習中の事故で右足を失った彼は、
その5年後、初めて走り幅跳びと出会う。
事故の前からスポーツが得意だったこともあり、
すぐに走り幅跳びでも頭角を現す。

2009年にはIWAS世界ジュニア大会で優勝、
翌年には同じ大会で
走り幅跳びだけでなく、100メートル走・200メートル走でも優勝した。

そして2015年10月、マルクスは世界選手権で8メートル40の距離を跳ぶ。
それは、障害者走り幅跳びの世界記録を塗り替える記録だけでなく、
オリンピックを狙える距離でもあった。

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佐藤日登美 16年10月9日放送

161009-06
khaosproductions
飛ぶ オリンピックへ

義足の走り幅跳び選手、マルクス・レーム。

2015年、彼は8メートル40の障害者走り幅跳びの世界記録を樹立する。

それは、健常者が出場するオリンピックを狙うこともできる数字。
障害者スポーツの理解を深めるため、
彼はリオ・オリンピックへの出場を決意する。

しかし、障害者スポーツの記録としては好意的だった評価が、
オリンピックに、となると風当たりが強くなる。
義足が有利に働いているのではないかと疑われ、
「テクニカル・ドーピング」とまで言われた。
彼は、専門家とともに義足が競技に与える影響を示したが、
結局、時間的な問題もあり、リオ・オリンピック出場は諦めざるをえなかった。

そして、リオ・パラリンピックに出場したマルクスは
8メートル21の大会記録を叩き出し、金メダルを獲得した。

 障害の有無に関わらず、
 一流のアスリートのパフォーマンスは感動を与えることを証明したい。

そう語るマルクスが次に狙うのは、東京五輪だ。

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蛭田瑞穂 16年10月9日放送

161009-07
cliff1066™
飛ぶ マイケル・ジョーダン

1988年のNBAオールスターウイークエンドに開催された、
スラムダンクコンテスト。

出場したマイケル・ジョーダンは
逆サイドのエンドラインぎりぎりからドリブルを始め、
トップスピードに達すると、
ゴールから約4メートルも手前のフリースローラインから踏み切り、
華麗にダンクシュートを決めた。

まるで空中を歩いているかのようなその姿から、
そのシュートは「エアウォーク」と呼ばれるようになり、
のちにそれはマイケル・ジョーダンのトレードマークとなった。

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蛭田瑞穂 16年10月9日放送

161009-08

飛ぶ ジョージ・マイカン

1950年11月におこなわれた
NBAのレイカーズ対ピストンズの試合は
両チームの合計得点が37点という歴代最低記録で終わった。

レイカーズにはジョージ・マイカンという選手がいた。
選手の平均身長が180センチ余りという時代に
彼の身長208センチという高さはずば抜けていた。

マイカンと対戦するチームはひたすらボールをキープし、
彼にボールを渡さない戦術をとったため、
試合は極端なロースコアになった。

こうした戦術に抗議が殺到し、
NBAはボールを持ってから24秒以内にシュートしなければならない
というルールを導入した。

ジョージ・マイカン、
その才能はバスケットボールのルールを変えた。

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