2016 年 10 月 のアーカイブ

澁江俊一 16年10月23日放送

161023-08

ダリのミレー愛

夕暮れに向き合う夫婦。
畑の中、足元に置かれた籠の中の
わずかなジャガイモに
妻は祈りを捧げる。

「落穂拾い」で知られるミレーの
もうひとつの傑作「晩鐘」。
貧しい農民のひたむきな姿を
美しく描いた傑作だ。

ミレーの絵をこよなく愛した
画家のサルバドール・ダリ。
彼にはこの絵が
ふつうとは違って見えていた。

妻の足元に置かれているのは
赤ん坊を入れていた籠。
実はこの夫婦、亡くなった我が子を
土に埋めたばかりなのだ。

ダリの主張を聞いてから見ると、
ミレーの「晩鐘」が
まったく別の絵に見えてくる。
ダリの歪んだ愛をも受け入れる
この絵の懐の深さを、楽しみたい。

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中村直史 16年10月22日放送

161022-01
Lombroso
そのとき聞こえた音楽 ラーメン屋でリスト

日本人の食に関する悲喜こもごもを
情緒豊かに描いた
伊丹十三の傑作「たんぽぽ」。

監督は、この映画のことを「ラーメン・ウエスタン」と
表現していたらしい。

ストーリーの軸は、
とある落ちぶれたラーメン屋の再建。

そして、ラーメン屋の復活を感動的に支えるのが、
日本にもラーメン屋にも食にも関係なく作られた、
フランツ・リストの「交響詩・前奏曲」だ。

ラーメン・ウエスタンなニッポンを際立たせる、ヨーロッパのクラシック。

いかにも伊丹十三らしい組み合わせだ。

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中村直史 16年10月22日放送

161022-02
Dallas1200am
そのとき聞こえた音楽 猿が人間になるときにシュトラウス

作曲家リヒャルト・シュトラウス。
彼は、1896年、ニーチェの著作にインスピレーションを受けて
交響詩を作曲した。
曲の名は「ツァラトゥストラはかく語りき」。

33分にも及ぶ壮大な交響詩は、
一世紀を経た今、世界中のだれもが知る曲となった。
ただし、曲の冒頭のみ。

発端は、映画「2001年宇宙の旅」。
人類の進化を描く鮮烈なシーンで、
このシュトラウスの曲は、高らかにその存在感を示した。
この映画のためだけに生まれたかのような曲だった。

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三島邦彦 16年10月22日放送

161022-04
ayane.
そのとき聞こえた音楽 カラオケボックスで作家は

近頃の歌の歌詞はつまらない、
という人は多いけれど。

作家の川上未映子は
カラオケボックスで
友人達が歌う歌を聴きながら
歌詞を眺めていた時のことを
こう書いている。

 画面に映るどの歌のどの歌詞も、
 深くて、かみしめる意味があるように、思えてしまう。

 使い古しの言葉の中にも、
 見ようとすれば見える一回きりの光のようなものが、
 なくもなかったりして、
 全部の歌詞を、じっと見る。

どんなものも新鮮に感じる。
そのまなざしが、
作家にはある。

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三島邦彦 16年10月22日放送

161022-03
Tom Simpson
そのとき聞こえた音楽 ゴジラが街にやってくる

松やにのついた革手袋で
コントラバスの弦をこする音を録音し、
速度を調整しながら逆再生する。

これが、ゴジラの鳴き声の作り方。

このアイデアを出したのは、伊福部昭。
映画「ゴジラ」のテーマ音楽を世に生み出した作曲家だった。

はじめ伊福部は「ゴジラ」の音楽をオファーされた時、
そのスケールの大きさに衝撃を受けたという。

 えらい事になった、こんな大きな音楽をどうやって作るか?

伊福部は脚本を読み込み、
ゴジラが誕生したという南方の地域の民族の言語、
音楽、歴史までを丹念に調べ、作曲にあたった。
そうして生まれたのが、「SF交響ファンタジー」。
ゴジラのテーマとして、日本で最も有名な交響楽となった。

あの音楽と、あの鳴き声。
長い時を経た今も、ゴジラが現れるたびに、
伊福部が生んだ音は私たちの胸を高鳴らせる。

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三國菜恵 16年10月22日放送

161022-05
mai
そのとき聞こえた音楽 夕方帰巣BGM

夕方になると、日本のあちこちでメロディが聞えてくる。

ある街の商店街のスピーカーからは、
「夕焼け小焼け」。

ある街の緑豊かな公園からは、
ドヴォルザークの「遠き山に陽は落ちて」。

ある街の公民館からは、
ビートルズの「イエスタデイ」。

ある街の防波堤からは、
警報にも似たけたたましいサイレンが鳴り響く。

それらは帰っておいで、の合図に思えるが、
もともとは、畑仕事にいそしむ人への
仕事終わりを告げる合図だったとも言われている。

きょうも、おつかれさまです。
肌寒くなってきたので、早くお家に帰りましょう。

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河田紗弥 16年10月16日放送

161016-01

チャールズ・モンロー・シュルツ ~誕生~

チャールズ・モンロー・シュルツは、
1922年、アメリカミネソタ州で生まれた。

チャールズは、小さい頃から、絵の才能に恵まれていた。
幼稚園の先生に言われた、
「あなたは画家になるかもしれないわ」というひと言を胸に、
絵を夢中で描き続けた。

彼は、勉強は得意だけれど、内気だった。
2学年飛び級をした小学校時代に、クラスメイトに仲間外れにされてしまう。
そのちょっぴり苦い経験が、ある主人公の誕生につながっている。

1950年、彼は心の悩みや葛藤を子どもたちがどう乗り越えるかをテーマに、
ひとつのコミック作品を書きはじめる。
主人公の名は、チャーリーブラウン。

彼と彼の飼い犬スヌーピーが繰り広げる、
人気コミック「ピーナッツ」はこうしてはじまった。

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河田紗弥 16年10月16日放送

161016-02

チャールズ・モンロー・シュルツ ~一匹の変わった飼い犬~

代表作「ピーナッツ」で知られる漫画家、
チャールズ・モンロー・シュルツ。

彼は13歳のとき、一匹の犬を飼い始める。
「スパイク」と名付けた、その一匹の犬は、
まるで人間の言葉を理解しているかのような行動をしたり、
画鋲やかみそりを食べてしまったり…。
とにかく変わった犬であった。

この「スパイク」を描いた漫画が、新聞に掲載され、連載がはじまった。
その漫画のタイトルは「リル・フォークス」

そう、この「スパイク」という一匹の犬こそ、
あの人間より人間くさい犬「スヌーピー」のモデルなのだ。

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河田紗弥 16年10月16日放送

161016-03
lethaargic
チャールズ・モンロー・シュルツ ~Good grief~

「Good grief」

チャールズ・モンロー・シュルツ作の
人気漫画「ピーナッツ」に登場するチャーリーブラウンやライナスなどの
子どもたちが度々言うセリフである。

彼の描く「ピーナッツ」では、
子どもの「もう、だめだ」「できないよ」といった
心の悩みや葛藤を多く描いている。

彼らは強がることなく、
野球の試合でミスをしたとき、
勉強ができないとき、好きな女の子にフラれちゃったとき
大きな声で「Good grief!」と嘆く。

この「Good grief!」をどう訳すか。
直訳だと「うれしい悲しみ」という意味だが、
最初に翻訳を手がけた谷川俊太郎はこう訳した。

「やれやれ。」

後向きなような、前向きなような。
乗り越えようとしているような、いないような。

「やれやれ」には、子どもたちのリアルな気持ちが込められている。

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河田紗弥 16年10月16日放送

161016-04
x-ray delta one
チャールズ・モンロー・シュルツ ~名言の裏に隠された事実~

人気キャラクター「スヌーピー」で知られる
チャールズ・モンロー・シュルツの「ピーナッツ」。

1950年から2000年までの50年間で
1万7897回にわたり、連載された。

しかし、最初から、順風満帆だったわけではない。

あまり経済的に豊かではない家庭であったのにもかかわらず、
自分を高額な美術学校に通わせてくれた両親。

その両親に、はやく恩返しをしたい。
そんな一心で、自分が描いた漫画を雑誌社に持っていくものの、
時代は第二次世界大戦。まったく受け入れてもらえなかった。

しかし、彼は決して諦めなかった。

彼が描く「ピーナッツ」の中で、チャーリー・ブラウンが
「いつの日か願いが叶うといいなあ」とぼやいたときに、
スヌーピーはこう答えている。

「そうなるように生きていかないとね」。

チャールズの人生そのままのコトバだ。

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