大友美有紀 16年11月6日放送
ReoRockville
「日本の灯台の父/R・H・ブラントン」佐多岬灯台
九州最南端の佐多岬。
明治初期、四カ国通商条約で灯台建設が求められていた。
しかし岬に用地がない。
日本の灯台の父・ブラントンは、
岬の前の2つの島を候補地にした。
本島には灯台保守員のための住居を、外側の小島には灯台を建てた。
急な潮流と波があるため、
住居と灯台間の交通は難渋であった。
そのためワイヤーロープを張り渡し、籠を吊って、
資材と人員の運搬を行った。
日本人灯台員は怖がって数年で、ゴンドラを使うのをやめてしまう。
使い続けていたら、日本最古のロープウェイになったかもしれない。