天才絵師 河鍋暁斎「画鬼」
幕末・明治の人気絵師、河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)。
暁斎の最大の魅力は、縦横無尽で多彩な作風。
注文を受ければ来るものは拒まず、
仏画・浮世絵・春画・風刺画と、
あらゆるジャンルを書き尽くした。
そんな自分を暁斎は、画の鬼、「画鬼(がき)」と称した。
天才絵師 河鍋暁斎「画鬼」
幕末・明治の人気絵師、河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)。
暁斎の最大の魅力は、縦横無尽で多彩な作風。
注文を受ければ来るものは拒まず、
仏画・浮世絵・春画・風刺画と、
あらゆるジャンルを書き尽くした。
そんな自分を暁斎は、画の鬼、「画鬼(がき)」と称した。
天才絵師 河鍋暁斎「熱量」
幕末・明治の絵師、河鍋暁斎。
初めて彼の作品を見るものは、
その熱量と膨大さに圧倒される。
とにかく多作。
1日に200枚の画を描いたこともあったという。
一方で、この多作が仇となり、
美術史の中でもなかなか評価が定まらなかった。
ただ、専門家の評価はともかく、
その驚くべき存在感は誰にも否定できない。
熱狂的なファンも多く、実はタトゥーにもしばしば使われるそうだ。
暁斎の残した熱は、いまも日本人の身体に刻まれている。
天才絵師 河鍋暁斎「早熟の鬼才」
絵師・河鍋暁斎は、圧倒的に早熟だった。
わずか3歳で蛙を写生したという。
その後7歳で浮世絵師・歌川国芳(うたがわ くによし)に入門し、
9歳になると狩野派(かのうは)に転じて、
19歳という若さで修行を終えた。
幼い頃から、絵に対する貪欲さは強烈だった。
川から流れてきた人の生首を拾って模写し、
周囲をひどく驚かせたという。
また、川遊びで鯉を生け捕りにしたときにも、
暁斎はすぐに写生をはじめ、鱗の数まで正確に描き上げた。
早く殺して食べてしまおうという周囲に対して、
この鯉はあらゆる部分を写生させてもらった以上我が師だ。
礼を尽くして天寿を全うさせてやらねばならない。
と強く反対し、逃してやった。
突拍子のない行動は、芸術への探究心の表れであった。
天才絵師 河鍋暁斎「絵日記」
幕末・明治の絵師、河鍋暁斎は
毎日絵日記をつけていた。
そこには人気絵師の賑やかな日々が、
ユーモラスに、生き生きと描かれている。
晩年まで描き続けたはずの絵日記だが、
実は4年分しか残っていない。
見た人がすぐに欲しがるので、
ほとんど人の手に渡してしまったそうだ。
絵日記は2010年に出版され、手にとることができる。
それは、今流行のコミックエッセイの走りのようだ。
天才絵師 河鍋暁斎「コンドルとの交流」
天才絵師・河鍋暁斎は、多くの外国人と親しく交わった。
なかでも、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルとの交流は有名だ。
暁斎の才能に惚れ込んだコンドルは弟子入りを志願し、
暁斎もそれを受け入れた。
明治14年、暁斎50歳、コンドル28歳のときだった。
その2年後には、イギリスの英の字をとって、
コンドルに「暁英(きょうえい)」という名が授けられた。
要職にあったコンドルは最も忙しい時期だったが、
その合間を縫って、暁斎との交わりを心から楽しんだ。
暁斎の絵日記にはたびたび「コンデル君」が登場する。
ふたりは、国籍の違いや師弟の関係を超えて、
親友だったのかもしれない。
明治22年、暁斎が胃ガンでこの世を去ったときも、
コンドルはしっかりと彼の手を握っていた。
天才絵師 河鍋暁斎「動物画」
絵師・河鍋暁斎は、動物画をよく描いた。
猫・犬・猿・虎・・・
優れた伝統技法を用いて、
非常に美しく描かれている。
しかし、暁斎の動物画は、
ただ美しいだけではなかった。
猫の集団がまるまる太ったナマズを狙う
「群猫釣鯰図(ぐんみょうちょうねんず)」。
猫たちは花街の芸者を表し、
長いヒゲを生やしたナマズは官僚を表すといわれる。
暁斎は
かわいらしい動物の姿を通して、
社会に鋭い視線を向けていたのだ。
天才絵師 河鍋暁斎「絵日記」
酒好きで知られた絵師・河鍋暁斎。
明治3年、暁斎は酒に酔って政府を批判する画を書き、
投獄されてしまった。
翌年釈放された暁斎は、
まるで世間に反省を示すように雅号(がごう)を改めて
創作を再開したが、
酒をやめることは、もちろんなかった。
そんな暁斎を、
弟子のコンドルはユーモアあふれる表現で
こう擁護している。
彼は、その極めて奔放な空想、最も新鮮なる構図、
および大胆不敵な筆致が、
酒神(しゅしん)バッカスの力によって生み出されたものであることを
「わきまえて」いたのだ。
と。
天才絵師 河鍋暁斎「河鍋暁斎記念美術館」
天才絵師・河鍋暁斎の作品は、
埼玉県蕨市にある、
河鍋暁斎記念美術館で見ることできる。
静かな住宅街の中の小さな美術館は、
あの濃密な作風と比べると、
ややアンバランスな印象さえ受ける。
暁斎は、過激で豪快な人柄というイメージがあるが、
実のところ、真面目で気の小さい男だったと言われる。
晩年には狩野派(かのうは)に再入門し、
伝統技法の遵守・継承にも力を注いだ。
喧騒を離れたところに、本質がある。
暁斎は、いまも静かな場所であなたを待っている。
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