2016 年 12 月 のアーカイブ

大友美有紀 16年12月4日放送

161204-07

天才意匠家 小村雪岱 『着物デザイン』

装幀家、意匠家、挿絵画家、舞台美術家、小村雪岱は、
歌舞伎役者のために舞台衣装図案を考えたり、
芸妓のために絵柄を描き入れた帯を作ったりしていた。
雪岱デザインの着物は、一般向けにも販売されていた。
展示販売会に際して発行された小冊子に雪岱が寄稿している。

 能い物は昔の物だけではなく現在出来ます物の中にも
 傑作はあると思ひます。
 今日出来ます物の中にも、百年の後には
 昭和美人の梯(かけはし)を見る様な衣裳も
 少しは必ず残っていることゝ思つてをります。

この随筆が掲載されたのは昭和12年。
まだ百年は立っていないけれど、良いものは残っているだろうか。

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大友美有紀 16年12月4日放送

161204-08

天才意匠家 小村雪岱 『忘れられた存在』

昭和14年、泉鏡花が亡くなった。
小村雪岱もあとを追うように翌年この世を去る。
そしてすぐに太平洋戦争が始まり、雪岱は忘れられてしまう。
資料や原画を継ぐ、子孫もいなかった。
鏡花本の装幀、新聞小説の挿絵、舞台美術、着物デザイン、
日本画も描いた小村雪岱。
今ならスーパマルチアーティストといったところか。
 
 それでもどうしてもまだ小村君とは、
 本当に別れた感じがしないのである。

 
木村荘八の言葉。雪岱が倒れたあと、仕事を引き継いだ画家である。
雪岱の影響はそこここにある。
ぜひ一度、調べて、出会って、虜になってほしい。

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佐藤延夫 16年12月3日放送

161203-01

妻 幸田文

幸田露伴の次女、幸田文は
酒問屋の息子と結婚した。
慶応ボーイでアメリカ帰りの優しい夫は
天にも昇るほどの幸福な結婚生活をもたらした。
しかし、やがて家業が傾いて財産を失ったとき
汗して働く術を知らない夫は
文の手枷足枷となっていった。

幸田文とその娘玉の作品の中に
その姿は理想の夫として
まただらしなく甘える情けない夫として
描かれている。

今日12月3日は、妻の日。
グータラ亭主はネタにされます。

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佐藤延夫 16年12月3日放送

161203-02

妻 田村俊子

明治生まれの小説家、田村俊子は
倹約という言葉を知らぬ妻だった。
小説で稼いだお金は湯水のように使い、
有り金がギャンブルで消えると
見境なくお金を借りた。
金遣いの荒さは生涯変わらなかったそうだ。

今日12月3日は、妻の日。
良妻か悪妻か、お金の使い方でわかる。

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佐藤延夫 16年12月3日放送

161203-03

妻 若山喜志子

詩人、若山牧水の妻、喜志子は
夫が大酒飲みということを知らずに結婚したそうだ。
ほとんど外出しており、
帰ってきても酒ばかり飲んでいる亭主に、
妻として、ひたすら耐えた。
だが、牧水が若くして亡くなると、歌づくりに専念する。
もともと歌人を目指していた喜志子は、水を得た魚のように80歳まで生きた。

今日12月3日は、妻の日。
か弱き妻ほど、たくましい。

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佐藤延夫 16年12月3日放送

161203-04

妻 大塚楠緒子

夏目漱石が恋した人、大塚楠緒子。
彼女の結婚相手は、漱石の友人だった。
妻としての生活は自由この上なく、
夫が留学している間に英語やピアノを習い、
小説まで書いて人気作家の仲間入りを果たした。
ふたりは良きライバル関係にあったが、
楠緒子はわずか35歳でこの世を去る。
漱石はこんな句を捧げた。

あるほどの 菊投げ入れよ 棺の中

今日12月3日は、妻の日。
それは、恋した人を想う日。

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佐藤延夫 16年12月3日放送

161203-05

妻 北原菊子

詩人、北原白秋には、3人の妻がいた。
その3番目の配偶者、菊子は
「大きな赤ん坊」と言われるほどの男を献身的に支え、
波乱万丈な白秋の結婚歴に終止符をうつ。
夫の目が悪くなれば、手となり足となり、
創作活動はふたりの仕事になった。

今日12月3日は、妻の日。
不良の夫を更生させたのは、海のような広い心。

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