風の話 ウォードの例え
アメリカで教育に多くたずさわった作家
ウィリアム・アーサー・ウォードが残した、こんな言葉がある。
悲観主義車は、風にうらみを言う。
楽観主義者は風が変わるのを待つ。
現実主義者は帆を動かす。
そろそろ春らしい風を感じる季節。
心地いい追い風もあれば、
厳しい向かい風もある。
この春、あなたはどんな風を捉えるだろうか。
風の話 ウォードの例え
アメリカで教育に多くたずさわった作家
ウィリアム・アーサー・ウォードが残した、こんな言葉がある。
悲観主義車は、風にうらみを言う。
楽観主義者は風が変わるのを待つ。
現実主義者は帆を動かす。
そろそろ春らしい風を感じる季節。
心地いい追い風もあれば、
厳しい向かい風もある。
この春、あなたはどんな風を捉えるだろうか。
風の話 マーガレット・ミッチェルの風
「風と共に去りぬ」は、南北戦争時代のアメリカを舞台に
激動の人生を歩んだスカーレット・オハラの物語だ。
当初、出版社が想定していたタイトルは違うものだったという。
作者のマーガレット・ミッチェルは、
「風と共に去りぬ」が良いと思う理由をこう書き送った。
去年の雪のように消え去った時代、
戦争という風に吹かれて滅び去ったもの、
風に立ち向かうのではなく、
風と共に去った人々を象徴できると思うのです。
作者自身がモデルと言われている主人公は、
時代の風に翻弄されながら、
それでも明日に向かって生きることを、自ら選んだ。
どの時代も風は吹いているけれど、常に立ち向かわなくてもいい。
吹き飛ばされても、立ち上がればいいのだから。
hexion
風の話 風の名前と辻往夫
日本には風の名前が2000以上もあるという。
春の風だけとってみても、そこには
春を愛でる日本人の繊細な感性があふれている。
花を信じる風と書く花信風(かしんふう)は
花の季節の到来を告げるように吹くやさしい風。
光の風と書く光風(こうふう)は
うららかな春日和に吹きよせる風。あるいは、
雨上がりに光る日差しを浴びて吹く風をいう。
風の名前の多くは、
農家の人や漁師がつけたというが、
詩人、辻往夫は部屋を通り抜ける風に
自分だけの名前をつけた。
「風の名前」という詩の中で
辻は窓辺で風と対話する。
(お部屋の中を通っていい?)(いいよ?)
ご丁寧に許しをもらった風が部屋を通り抜ける時、
辻は手をさしのべて風の肉体にふれ、名前をつける。
微風のマリー
隙間風のジューン
春は人が風に恋する季節。
明日出会う風に、あなたはどんな名前をつけますか。
風の話 「明日は明日の風が吹く」
明日は明日の風が吹く。
映画「風とともに去りぬ」を
締めくくる日本語訳として、
あまりにも有名なこのフレーズは、
幕末の歌舞伎狂言作家・
河竹黙阿弥の作品の中の言い回しが
ルーツだと言う説がある。
スカーレット・オハラの前向きさが
江戸っ子の気風の良さとつながるとは、
今になってみると、
実に不思議な、風の吹き回しだ。
風の話 「多分、風。」
冬が終わり、耳元をあたたかい春風がかすめると、
なんだか懐かしいような、甘ったるい気分になる。
サカナクションの楽曲、「多分、風。」。
畦 走らせたあの子は 多分 風
焦らせたあの仕草は 多分 風
自転車であっさりすれ違った「あの子」と「自分」。
その瞬間に起きた「風」を
実はお互いを気にしている「空気」として描いている。
風走らせたあの子にやや熱い視線
焦らせたこの季節に 連れて行かれたら
風が起こるのは、そこに何かのエネルギーがあるから。
それが恋だとしても、おかしくないのかもしれない。
風の話 風の妖怪かまいたち
日本では昔から、摩訶不思議な出来事が起きた時、
その出来事に名前をつけ、妖怪の仕業だと考えていた。
たとえば、外へ出て冷たい風に触れると
知らない間に太ももや手の甲などにあかぎれができる。
これは、かまいたちという妖怪の仕業。
冷たい風もようやく春風に変わる3月。
かまいたち達も、
気持ち良い風を受けながらまどろんでいるころだろうか。
風のはなし チャーチルの名言
イギリスの政治家、ウィンストン・チャーチルが
風にまつわるこんな言葉を残している。
Kites rise highest against the wind – not with it.
凧が一番高く上がるのは、
風に向かっている時である。
風に流されている時ではない。
新しい仕事が始まる春。
この言葉を思い出せば、
きっといつでも前を向ける。
風のはなし 風邪の語源
寒暖の差が大きいこの季節、
風邪をひいているひともいるのでは?
風邪の語源はピューと突然、吹く風のこと。
急にやってくる病で、
とくに悪霊が吹かせる邪悪な風が
人間に災いをもたらしているとされて生まれた言葉。
さぁ、今日も風のいたずらに翻弄されないように
まだまだ暖かくしておでかけください。
花ひらく 岡潔
明治生まれの数学者・岡潔。
多くの知識人から尊敬を集め、
数学の世界を超えて大きな影響を与えた。
そんな岡が数学を選んだ理由は、
十代の頃の感激にあるという。
だいたい、中学校の三年、高等学校の一年というころ、
感激するということをやってみることによって、
感激するということのできる人になるということがあります。
このとき受けた感激は、 種として心の奥深くまかれます。
わたしはその時期に数学をやり、クリフォードの定理の神秘さに感激して、
けっきょく、数学をやらなければ気がすまなくなった。
十代の頃にまかれた数学者の種は、
やがて大きく花ひらいた。
花がひらくには種がいる。
そしてその種はきっと、
あなたの中にもすでにある。
花ひらく 胡桃沢耕史(くるみざわこうし)
作家の胡桃沢耕史が
直木賞を受けたのは彼が58歳の年。
9歳の時に作家を目指し始め、
既に20年以上文筆で身を立ててきたが、
そのすべては出版社への持ち込み原稿で、
編集者から依頼受けたことは一度もなかったという。
賞さえとればこんなみじめな境遇から抜け出せる。
五十八歳で、先輩諸氏の中にはかなり不愉快に思われる方のいる、
必ずしも全面的に祝福されない状態の中でやっと取った。
それでも運命は一転した。
一晩で、編集者からの扱いががらりと変わる。
遅咲きだからこその深い喜びが
そこにあったに違いない。
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