出会いと別れ 人生と川
瀬をはやみ
岩にせかるる滝川の
われてもすゑに
逢はむとぞ思ふ
川の瀬の流れが岩にせきとめられて割かれてしまうように、
わたしとあなたも離れ離れになってしまった。
それでも再びあなたに逢えることを信じています。
詠み手は、崇徳院。
別れざるを得なかった恋人との再会を願う歌だと言われている。
崇徳院の、愛する女性への想い。
それはまるで、川の流れのように激しく、
透き通っていたに違いない。
出会いと別れ 人生と川
瀬をはやみ
岩にせかるる滝川の
われてもすゑに
逢はむとぞ思ふ
川の瀬の流れが岩にせきとめられて割かれてしまうように、
わたしとあなたも離れ離れになってしまった。
それでも再びあなたに逢えることを信じています。
詠み手は、崇徳院。
別れざるを得なかった恋人との再会を願う歌だと言われている。
崇徳院の、愛する女性への想い。
それはまるで、川の流れのように激しく、
透き通っていたに違いない。
yamada*
春の妖精 二輪草
春の妖精と呼ばれる草花がある。
英語ではspring ephemeral、春の短い命。
その名の通り、春まだ浅い野山に咲き、
初夏の日差しを浴びる前に姿を消す。
その仲間の一つ、二輪草は背丈20センチ。
ひとつの株から2本の茎を伸ばして
小さな白い花を二つ咲かせるから二輪草。
この花には一輪草という仲間もいて
北原白秋はこんな詩を書いている。
真実さびしき花ゆえに
一輪草とは申すなり
一輪咲いたが一輪草、二輪咲くのが二輪草
とはいえ、早春の落葉樹の森へ行くと
一輪草も二輪草も
命の短さを知るかのように
何本も何十本も、ときには何百本も寄り添って
いたわり合って咲いている。
Oryzias
春の妖精 カタクリ
春の妖精と呼ばれる草花がある。
その名の通り、春まだ浅い野山に咲き、
初夏の日差しを浴びる前に姿を消す。
その仲間で一番知られているのは
カタクリかもしれない。
日本の各地に群落があり
季節になると花の便りがニュースになる。
江戸時代の探検家松浦武四郎は
北海道の食用植物として
「山慈姑」という名前を挙げ
カタクリとルビを振っている。
花が咲くまでに8年もかかるカタクリは
その貴重なデンプンで人々を養っていた。
biscorogus
春の妖精 エゾエンゴサク
春の妖精と呼ばれる草花がある。
その名の通り、春まだ浅い野山に咲き、
初夏の日差しを浴びる前に姿を消す。
エゾエンゴサクもその仲間で、
森に背の高い草が生える前に
10センチかそこらの小さな茎の先端に
2センチほどの花をつける。
その花がお天気によって
赤紫に見えたり青紫に見えたりする
エンゴサクは花も葉も根も食べられるが
環境を保護する人たちから
せめて根っこは残しておいて、というお願いを
ときどき見かける。
確かに、妖精たちが消えた春はあまりにも寂しい。
bastus917
春の妖精 アズマイチゲ
春の妖精と呼ばれる草花がある。
その名の通り、春まだ浅い野山に咲き、
初夏の日差しを浴びる前に姿を消す。
にんじんは 明日蒔けばよし 帰らむよ
アズマイチゲの花も閉ざしぬ
アララギ派の歌人土屋文明(つちやぶんめい)の歌は
アズマイチゲの特徴を歌っている。
アズマイチゲが花を開くのは天気のいい昼間だけ。
曇りの日も雨の日も、つぼんでいるし、
日暮れにはさっさと花を閉じてしまう。
春の晴天の日しか咲かないアズマイチゲ。
そのせいか、地方によっては
花を摘むと雨が降る雨降り花と呼んで
子供が摘まないように呼びかけているそうだ。
春のはかない命に人もやさしい。
titanium22
春の妖精 バイモ
春の妖精と呼ばれる草花がある。
その名の通り、春まだ浅い野山に咲き、
初夏の日差しを浴びる前に姿を消す。
母の貝と書いてバイモ。
ほっそりした茎に百合に似たうつむきかげんの花が咲く。
中国原産で、日本には江戸時代に渡来したと言われているが
平安時代の辞書「和名抄」にすでに名前が出ているから
実はもっと古いのかもしれない。
万葉集の防人の歌にも「母という花」が出てくる。
時々の花は咲けども何すれそ 母とふ花の咲き出来ずけむ
(ときどきの 花はさけども 何すれぞ 母とふ花の 咲きでこずけむ)
母という名の花が咲いていたら一緒に連れて行きたい。
そんな気持ちが込められた、ちょっと切ない歌。
路上の行方
今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。
彼の小説「On the road」が描いたのは
サル・パラダイスとディーン・モリアーティ、
二人の若者のアメリカ放浪の旅。
様々な風景を持つ
広大なアメリカでクルマを走らせ、
ここではないどこかを目指す旅の途中で、
多種多様な価値観や恋と出会う。
その路上にこそ、人生の輝きがある。
その旅に全米の若者が熱狂し
ジム・モリソンやボブ・ディランなど
数多くの表現者たちに大きな影響を与えた。
主人公たちが最後に目指したパラダイスは、
メキシコだった。
その国境に壁をつくろうとする
アメリカという国は
これから、どこを目指そうとしているのか?
mdalmuld
助手席のケルアック
今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。
小説「On the road」では
ドライブやヒッチハイクで
アメリカ中を放浪した
主人公のサルとディーン。
クルマがもたらす移動のスピードが
疾走感ある文体にも強く影響している。
しかしケルアック自身は、
死ぬまで運転免許を持とうとしなかった。
助手席から眺めるアメリカの自然や
移り変わる街並みに想いを馳せるほうが
運転よりもはるかに
好きだったのかもしれない。
ケルアックの夢
今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。
アメリカ中の若者が熱狂した
彼の小説「On the road」を実は
ケルアック自身が映画化しようとしていた。
彼が出演を依頼したのは
当時人気絶頂だったマーロン・ブランド。
ケルアックは手紙を送ったが
ブランドは断り、映画化は実現しなかった。
その後落ち目になったブランドを
ゴッド・ファーザーで帰り咲かせた
フランシス・フォード・コッポラが
「On the road」の映画化に挑んだ。
1979年に映画化権を獲得した
コッポラだが、なんども企画を重ねて
ようやく公開できたのは
出版から50年以上経った2012年のこと。
その間にアメリカは大きく変わり
若者の価値観も変わった。
もしも、ブランドの主演で
当時のアメリカで映画化されていたら。
原作を超える名作が、生まれていただろうか。
ケルアックと仲間たち
今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。
1957年に出版された
「On the road」の大成功で
時の人となったケルアックのまわりには
「裸のランチ」の作家バロウズや
詩人のギンズバーグなど
切っても切れない仲間がいた。
ときに驚き、ときに笑い、ときに憤る。
友と語り合いながら
あてもない旅を繰り返す。
彼らは自らを
ビート・ジェネレーションと名乗った。
一人ではできないことも、
仲間とならできる。
友情を超えた魂のつながりこそ、
当時の若者たちを動かしたビート世代の
いちばんのメッセージかもしれない。
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