藤本宗将 17年4月9日放送
Takashi(aes256)
鎌倉の大仏と作家
時代小説からノンフィックションまで、
幅広い活躍で知られた作家の大佛次郎。
大仏(だいぶつ)と書いて「おさらぎ」と読むこのペンネーム、
由来は鎌倉の大仏さまだ。
作家として活動をはじめた頃、大佛は鎌倉大仏の裏手に住んでいた。
本物の大仏が太郎だから、謙遜して自らは「次郎」としたのだという。
その後も彼は自然と歴史のある街並みを愛し、
生涯を鎌倉で暮らした。
しかし日本が高度成長期を迎えた頃、
鎌倉にも宅地開発の波が迫ってきた。
街のシンボルである鶴岡八幡宮の裏山までもが
そのターゲットとなったのだ。
当時は自然や景観を保護するということに対して、
まだ一般的な関心が低かった時代。
そのときいち早く反対の声を上げたのが、大佛だった。
開発への反対運動は、一般市民はもちろん、
川端康成や小林秀雄、鏑木清方、伊東深水といった
文化人にまで幅広い支持を集めた。
そしてイギリスのナショナル・トラスト運動を参考にして
大佛が立ち上げた「鎌倉風致保存会」によって
開発予定だった山林1.5ヘクタールの買収と保存が決まる。
さらにこれをきっかけとして、
1966年には「古都保存法」が制定された。
大佛次郎の尽力がなければ、
いまの風景は残っていなかったに違いない。
鎌倉の街は、もうひとりの大仏さまに守られたのだ。