2017 年 4 月 のアーカイブ

渋谷三紀 17年4月8日放送

170408-02

「悪妻」森鴎外の妻(しげ)

森鴎外の妻、しげ。
気の強かったしげは
姑の峰子と折り合いがつかず、
実家に帰ってしまった。

失望した鴎外は、
母と嫁の諍いを書いた小説「半日」を書き上げる。
ほどなくして、なんと、しげも、
二人の新婚生活を元にした小説「波乱」を発表。
小説を通じて、二人は互いにやりあった。

実はこれ、離婚を避けるために
鴎外が考え、しげに勧めたこと。

しげは生涯、鴎外の傍にいた。

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渋谷三紀 17年4月8日放送

170408-03

「悪妻」芥川龍之介の妻(文)

文ちゃんが昔から好きでした。
今でも好きです。

芥川龍之介に、
こんなストレートで飾り気のない
ラブレターを書かせた女性が、妻の文。

芥川が自殺した時、
文は「お父さん、良かったですね」と
声をかけたというが、
その真意は文にしかわからない。

夫亡き後も、二人の息子を
それぞれ演劇人、音楽家として
立派に育て上げた妻に、
夫は空の上でも頭が上がらないはずだ。

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渋谷三紀 17年4月8日放送

170408-04

「悪妻」与謝野鉄幹の妻(晶子)

 やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

挑発的に恋を歌った、歌人、与謝野晶子。
雑誌「明星」を主宰する夫の鉄幹は、
晶子がいながら多くの女性と浮名を流した。

鉄幹は編集者としての才はあったけれど、
歌は明らかに晶子が上。
晩年の鉄幹は、日本を代表する歌人となった
晶子のマネージャーとして生きた。

晶子のそれは、耐えて終わる器ではなかった。

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渋谷三紀 17年4月8日放送

170408-05

「悪妻」谷川俊太郎の妻(佐野洋子)

画家でエッセイストの佐野洋子は、
詩人谷川俊太郎の妻だった。

谷川さんは佐野さんと結婚して、
詩の書き方が変わってしまうほどの影響を受けたという。
一方、佐野さんは、「私は何も変わらなかった。」とピシャリ。

 妻は僕のお抱え批評家で、
 僕は妻のお抱え執事なんだ。

谷川さんをして、こう言わせる女性は、
佐野さんの他にいるはずもない。

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大友美有紀 17年4月2日放送

170402-01

「プリンセスは大変」かぐや姫

 わたくしも、心ならずこうして去るのでございます。
 せめて天に昇っていくところをお見送りくださいませ。

かぐや姫は帝に手紙と不死の薬を手渡し、天の羽衣をまとう。
すると、喜怒哀楽の感情を失ってしまった。
情念が消え去ってしまうことを知っていたから、
誰の愛にも応えなかった。
帝は手紙と薬を最も天に近い
駿河の富士の頂上で燃やすように命じた。
薬を焼いた煙は不思議に途切れること無く
今も立ちのぼっているという。

帝が永遠の命を手にしていたら、
再びかぐや姫と出会う日が来たのだろうか。
優しさなのか呪いなのか女心は複雑だ。

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大友美有紀 17年4月2日放送

170402-02

「プリンセスは大変」シンデレラ

「シンデレラ」のもととなったとされる物語がある。
1635年前後にイタリアで出版された
民話集「五日物語」に収録された「灰かぶり猫」。

主人公の姫は、
父親の再婚相手に意地悪されている。
彼女は家庭教師に愚痴をこぼす。

 あなたがお母さんならいいのに

家庭教師は今のお母さんがいなくなれば
自分が母親になれると
姫に継母殺しをそそのかす。
果たして家庭教師が母親になると、
また姫君はいじめられる。
めでたしめでたしとなるには、
過酷な試練を乗り越えなければいけない、
と物語は伝えたいのだろうか。

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大友美有紀 17年4月2日放送

170402-03

「プリンセスは大変」眠り姫

「王女は15歳になったら紡錘(つむ)に刺されて死ぬだろう」
眠り姫は誕生のとき、悪い魔女に呪いの言葉をかけられた。
良い魔女は、死ではなく眠りが訪れるように呪文を変えた。

中世ヨーロッパの農村部では、
未婚の女は糸紡ぎ部屋に集まり
世間話をしながら夜なべをした。
そこには若い男たちもやってくる。
飲食をともにして、踊り、唄い、
時にはセクシーな出来事もあった。
この「糸紡ぎ部屋のどんちゃん騒ぎ」は、
教会に禁止されるほどきわどい風習だった。

「糸紡ぎ」には艶っぽいイメージがあった。
グリム兄弟は子どもたちのために
原型の民話からきわどい話を取りはらい
「眠り姫」に仕上げた。
若さと純粋さへの憧れと
成長への希望を感じる物語となった。

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大友美有紀 17年4月2日放送

170402-04

「プリンセスは大変」ジョセフィーヌ

 お前は2度結婚することとなる。
 2度目の亭主は見栄えこそしないが、
 途方も無い権力を握ってヨーロッパを征服するだろう。
 お前も一緒に王妃なるが、栄華は長く続かない。
 やがてすべてを失い、孤独の中でこの島のことを
 懐かしく思いながら生涯を終えることになるだろう。

のちにナポレオンの妻となるジョセフィーヌが、
幼い頃、生まれ故郷のマルティニク島で、
占い師に言われた言葉。
予言かと思うほど、その生涯を言い当てている。

が、本当にそうだろうか。
この言葉を知らなければ、
晩年は孤独になると知らなければ、
別の生き方があったかもしれない。

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大友美有紀 17年4月2日放送

170402-05

「プリンセスは大変」マリア・ルイーズ

 戦は他に任せよ。汝幸あるハプスブルクは婚姻せよ

ハプスブルク家の家訓。
神聖ローマ帝国を形成し、オーストリア帝国、
オーストリア=ハンガリー帝国をも支配し、
武力を用いずに640年に渡って君臨したヨーロッパの名門。
その繁栄の秘密は政略結婚だった。

ナポレオンの2番目の妻、
マリア・ルイーズもハプスブルク家の姫だった。
権力を手にした英雄ナポレオンは、
自分が神聖ローマ皇帝位を放棄させた政敵である、
ハプスブルク家から妻をめとることで箔をつけたいと考えた。
列強に王者の一員として認めさせるという目論見だった。
マリア・ルイーズは当時16歳、ナポレオンは41歳だった。
ナポレオンへの愛は芽生えない。
子はもうけたが政略結婚の花嫁という役割以上の愛情は持たなかった。
ナポレオンが没落し、エルバ島へ流されると、
ルイーズはあっさりと見捨てた。
何百年と続くハプスブルク家の姫はしたたかだった。

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大友美有紀 17年4月2日放送

170402-06

「プリンセスは大変」レオポルディーネ

 果実は熟れています。まさに今が食べ頃です。

武力を持たず政略結婚で栄華を誇ったハプスブルク家。
マリア・ルイーズの妹、マリア・レオポルディーネは、
植民地ブラジルを統治していたポルトガルの皇太子、
ペドロに嫁いだ。海外にハプスブルグの勢力圏を
再建する役目もあった。
ペドロは、本国から搾取される立場を嫌い、
ブラジルを国家として独立させようとする。
聡明なレオポルディーネも独立運動を支援した。
ポルトガル議員団に面会し、機が熟していることを知り、
夫に暗号で手紙を書いていた。
そして1822年、ブラジルは独立する。
レオポルディーネは国母として民衆に愛された。
愛で家系をつないできたハプスブルク家の一員らしく。

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