2017 年 4 月 のアーカイブ

大友美有紀 17年4月2日放送

170402-07

「プリンセスは大変」チタ

1989年、97年の生涯をスイスで終えた女性がいた。
チタ・フォン・ブルボン=パルマ。
ハプスブルク最後の皇帝カール1世の妃だった。
フランス王家の血統ブルボン家と
パルマ公国の流れをくむ姫君だった。

 とにかくまともな家柄の王女と
 結婚するように

そう言われ続けたカール皇帝のもとに嫁いだチタ。
24歳で皇后となると、斜陽のハプスブルク帝国を立て直そうとした。
けれど夢かなわず、20年にわたって亡命生活を続けた。
ハプスブルク家最後の女王は、
いつか帝国が復活することを願っていた。

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大友美有紀 17年4月2日放送

170402-08

「プリンセスは大変」アナスタシア

1918年最後のロシア皇帝ニコライ2世は、
家族とともに処刑された。
皇帝、その妻、皇太子アレクセイ、長女オリガ、
次女タチアナ、3女マリーア、
そして4女アナスタシア。
全員が射殺されたと公式に発表された。
しかし、今なおアナスタシア生存説は根強く残る。
自分がアナスタシアだと固く信じる人物が名乗りをあげ、
その存在にインスパイアされた映画もある。
4女だったアナスタシアに関する記録は少ない。

 元気が有り余っている
 手のつけられないたずらっ子

名付け親であるオリガ大公女の記憶だ。
その生も死も秘密めいているからこそ、
プリンセスの謎は深まる。
現代にもおとぎ話は必要なのだろう。

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佐藤延夫 17年4月1日放送

170401-01

名もなき人たち 名無しの権兵衛

その男、いつ生まれたかはわからないが、
かなりの有名人である。
実は、夏目漱石の「我輩は猫である」にも登場している。
彼の名は、名無しの権兵衛。
名前はあるのに、なぜか名無しの権兵衛と呼ばれる男だ。
ひとつわかっているのは、
その昔、地方出身者に多い平凡な名前だった、ということ。
それが悪かったのか、江戸時代の遊郭には、
たくさんの名無しの権兵衛がいた。
政府の目を逃れるため、遊女に男性の名前をデタラメにつけたからだ。
ちなみにこの男、英語の国では、John Doeと名乗るらしい。

今日は4月1日。名無しの花子がお伝えしました。

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佐藤延夫 17年4月1日放送

170401-02

名もなき人たち 与次郎兵衞

与次郎兵衞。別名、弥次郎兵衛とも言う。
もともとは京都で、人形を見せて歩く人のことを
与次郎兵衞といったそうだ。
人形とは、指先にちょこんとのせると、
重りでバランスを取る、あれのことである。
いつの間にか、人形の名前として市民権を得るようになった。
小林一茶に、こんな句がある。

 蝶々や 菜の葉にとまる 与次郎兵衞

ところで、なぜ与次郎兵衞が、弥次郎兵衛になったのか。
それは、東海道中膝栗毛の登場人物、弥次さんが影響している、
とも言われる。

今日は4月1日。名無しの花子がお伝えしました。

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佐藤延夫 17年4月1日放送

170401-03

名もなき人たち 与太郎

江戸落語でおなじみの人物、といえば与太郎である。
どことなく のんびりした性格で、
親孝行の息子であったり、大工であったり、
さまざまな役を演じ分けている。
与太郎のすごいところは、
活躍の場が落語の世界だけではなかったことにある。
島崎藤村の小説「破壊」には、与太が登場する。
残念ながら、愚か者のたとえとして。
落語ではない与太郎は、
嘘つき、でまかせ、いい加減、など
あまり素行の良い人物とは言えないようだ。

今日は4月1日。名無しの花子がお伝えしました。

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佐藤延夫 17年4月1日放送

170401-05
P199
名もなき人たち 坂東太郎

関東平野を流れる利根川の別名として
多くの人に知られている名前が、
坂東太郎だ。
坂東とは、関東地方のこと。
その地域を流れる一番大きな川で、
長男を意味する太郎という名前がつき、
坂東太郎と呼ばれるようになった。
ちなみに、四国二郎は吉野川、
筑紫三郎は筑後川。
信濃川も石狩川もランクインしていないところが、
いかにも江戸時代らしい。

今日は4月1日。名無しの花子がお伝えしました。

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佐藤延夫 17年4月1日放送

170401-04
ドラ猫
名もなき人たち 侘助

ちょうど今の時期に咲く椿の一種、侘助椿。
ここに登場する侘助という人物、
来歴にはいくつかの説がある。
ひとつは、千利休の下僕の名前。
また、文禄・慶長の役の際に
朝鮮半島からこの花を持ち帰った人物が侘助、という説もある。
そしてもうひとつの説も、茶人にまつわるものだ。
利休と同じ時代を生きた、笠原七郎兵衛。
のちに還俗して「侘助」と名乗るのだが、
その彼が愛でてやまなかったのが紅白の小ぶりの椿で、
それがいつしか、侘助椿という名前になった。
侘しさを楽しむ。
そんな意味を考えると、
やはり侘助は、茶人の名前であってほしいと思う。

今日は4月1日。名無しの花子がお伝えしました。

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