「激情の人/ゴッホ」 牧師への道
小学校を退学になったゴッホは、
画商、寄宿学校の教師、書店勤めと
職につくが、長続きしない。
父の後を継いで牧師になりたいという
気持ちが抑えられなくなる。
古くからクリスチャンの家系であるわが家には、
代々いつも神の福音を説く人間がいた。
僕がいまこの役割を継いだとして、
なんの不思議があるだろう。
ゴッホは、24歳のとき、アムステルダムで
神学大学に入学するための受験勉強を開始する。
「激情の人/ゴッホ」 牧師への道
小学校を退学になったゴッホは、
画商、寄宿学校の教師、書店勤めと
職につくが、長続きしない。
父の後を継いで牧師になりたいという
気持ちが抑えられなくなる。
古くからクリスチャンの家系であるわが家には、
代々いつも神の福音を説く人間がいた。
僕がいまこの役割を継いだとして、
なんの不思議があるだろう。
ゴッホは、24歳のとき、アムステルダムで
神学大学に入学するための受験勉強を開始する。
「激情の人/ゴッホ」 街角の伝道師
24歳の時、ゴッホは、アムステルダムで神学大学に入るための
受験勉強を始める。けれどもギリシャ語の動詞でつまずいてしまう。
オランダでは伝道師になるために6年間学ばなければならない。
ベルギーなら3年でいい。ゴッホは、ブリュッセルの伝道師養成学校に入る。
3か月の実習を受ければ、伝道師として派遣される。
3ヶ月の間ゴッホは努力した。けれど、また失敗に終わってしまう。
他人をかえりみない生活態度や乱暴な言葉遣い。
注意されても改めることはできなかった。
ゴッホはまたしても学校をやめざるをえなかった。
それでもゴッホは落胆しない。
ベルギー南部の炭鉱地の街角で神の言葉を説いた。
坑夫と付き合うには坑夫のようにならなければならない。
気取ったり、傲慢だったり、知識をひけらかしてはいけない。
そんなことをすれば、かれらと理解しあえないし、信頼もされない。
最初は馬鹿にされていたが、
ゴッホは次第に町の人から支持されるようになった。
「激情の人/ゴッホ」激しすぎる自己犠牲
ゴッホは、ベルギーでの説教活動が認められ、
試験的に伝道師の資格を与えられた。
そして貧しい人々の中に飛び込んでいった。
自分の衣服を分け与え、事故がおきればすぐにかけつけ、
チフスが流行すれば献身的に看病した。
まさにキリストのように人々のために働いた。
ゴッホ自身の衣服はボロボロ。
あばら屋で藁の上で寝ていた。
行いそのものは正しいが、
とても正気の沙汰とは思えない。
激しすぎる自己犠牲。
ゴッホは伝道師を解任されてしまった。
「激情の人/ゴッホ」うさんくさい人間
牧師への道を断たれたゴッホは、家族のもとに戻る。
待っていたのは容赦のない非難だった。
大工でもパン屋でも図書館の司書でもいい、
なんでもいいからまともな仕事についてほしい。
でもゴッホにはできなかった。
知らず知らずのうちに僕は家族のなかで、
手のつけられないような
うさんくさい人間になってしまった。
確かに僕は情熱家だから、
いくらか非常識なことをやらかしてしまう。
そして後になっていくらか後悔もする。
もっと我慢して待ったほうがいい時でも
すぐに言葉に出したり、行動してしまう。
ゴッホは、この情熱から、いかにして良いものを
引き出そうとして努力するかと考える。
そして、絵を描くことこそ救いになると気づくのだ。
「激情の人/ゴッホ」アルル
画家を志したゴッホは、パリで日本の浮世絵に出会う。
そして日本とよく似た南仏へ、
日本の浮世絵にあるような明るい光を求めてアルルへと
やってくる。
僕の失われた青春がいくらかでも
取り戻せるような、若々しい作品が
いつか描けるような気がする。
南仏の輝く太陽のもと、ゴッホは色彩を獲得した。
黄色い家、ゴッホの寝室、夜のカフェテリア。
ゴッホは、アルルで200点もの作品を生み出した。
「激情の人/ゴッホ」ゴーガン
ゴッホとゴーガン。その友情と確執は有名だが、
二人がアルルで暮らしたのはたった2ヶ月だった。
ゴッホが食料を買い出しに行き、ゴーガンが料理をする。
お互いの作品を模写し、お互いの肖像画を描く。
絵についての議論を交わす。
ゴッホはゴーガンに批判されるのに耐えられなくなった。
そしてあの事件が起きる。
ゴッホはゴーガンにカミソリで襲いかかるも逃げられてしまう。
自分の耳を切り落として、娼婦にやってしまう。
ゴーガンはパリに帰ってしまった。
印象派の小暴君ボナパルト、軍隊を見捨てて逃げた伍長
ゴッホは精神病院に収容されることになった。
「激情の人/ゴッホ」カラス
どうにもならない!どうにもならない!
そうつぶやきながら、ゴッホは畑の間を歩き回っていたという。
鳥を追い払うため、と借りていたピストルで自分の腹を撃った。
その夜遅く、下宿先の夫婦は、ゴッホが脇腹から血を流して
ベッドに横たわっているのを見つける。
医師が呼ばれたが、弾丸を摘出することはできなかった。
翌日、弟のテオもかけつけた。
泣かないでくれ、みんなのためを思ってしたことなんだ。
ゴッホは37年の短い生涯を終えた。
死の間際まで描いていたとされる「カラスのいる麦畑」。
何羽ものカラスが上空を舞う。
ゴッホの激情が出口を求めているかのようだ。
その次の人生 今川氏真
桶狭間の戦いで敗れた今川義元の嫡男 氏真。
お家復興もままならず、
妻の実家である北条家に落ち延び、
その後、徳川家康の庇護を受ける。
ダメな二代目という評価をされがちな氏真だが、
一人の人間として見ると、かなり能力は高い。
塚原卜伝から学んだ剣術は、免許皆伝の腕前。
蹴鞠の技も確かで、織田信長の前でも披露したという。
そして和歌は1700首以上詠んだ。
なかなかに 世をも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の科(とが)にして
生まれた時代が違えば、評価が180度変わった男。
その次の人生 水野勝成
徳川家康の従兄弟にあたる武将、水野勝成。
15歳で初陣を飾ると、
戦場であまたの活躍をみせる。
だが、父の家臣を斬ってしまい、
それがもとで勘当されると、
長い放浪生活にはいる。
武芸に秀でており、
傭兵のように戦国の世を渡り歩き、
行く先々で手柄をあげた。
このまま流浪の武将になるかと思いきや、
父と和解し、家督を相続した。
猪突猛進型の武将だったが、
藩主としては、知的で堅実な政治を行っている。
その次の人生 木下勝俊
木下家定の嫡男、勝俊。
太閤秀吉の正室 ねねの甥にあたり、
さまざまな恩恵を受けて育てられた。
幼少から秀吉に仕えてきた勝俊だが、
彼が才能を発揮したのは、
武士よりも歌人として、だった。
関ヶ原の戦いに際し、
敵前逃亡の疑いで領地を没収されると、
彼らしい人生の幕が開く。
隠居暮らしを始め、木下長嘯子と名乗り、
思うがままに歌を詠んだ。
大名や文化人、幕府の要職につく人物たちと交流したという。
よしあしを 人の心にまかせつつ そらうそぶきて わたるよの中
自分のやりたいことのために、生き方を変えた男。
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