住まいが語るもの/谷崎潤一郎
近代文学の作家は、
引越しを好む者が多かったが、
その中でも群を抜くと言われているのは
谷崎潤一郎だ。
三人目の妻、松子夫人と暮らした住居、倚松庵は、
転居に次ぐ転居の中で、比較的長く滞在したと言える。
応接間は全てフローリング。
ドアにはステンドグラスがはめ込まれ、
冬は備え付けの薪ストーブに火を入れた。
「細雪」を執筆した当時の住まいであり、
部屋の細部まで作中に描写されている。
家は、作品に奥行きを与える。
住まいが語るもの/谷崎潤一郎
近代文学の作家は、
引越しを好む者が多かったが、
その中でも群を抜くと言われているのは
谷崎潤一郎だ。
三人目の妻、松子夫人と暮らした住居、倚松庵は、
転居に次ぐ転居の中で、比較的長く滞在したと言える。
応接間は全てフローリング。
ドアにはステンドグラスがはめ込まれ、
冬は備え付けの薪ストーブに火を入れた。
「細雪」を執筆した当時の住まいであり、
部屋の細部まで作中に描写されている。
家は、作品に奥行きを与える。
住まいが語るもの/坪内逍遥
作家、坪内逍遥が晩年、居を構えたのは
熱海の水口村だった。
それまでの仕事場だった荒宿は
少しずつ騒がしくなり嫌気がさしていた。
閑静な場所を選び、
自ら図面を引いた新たな住まい。
そこには立派な柿の木が二本立っており、
双柿舎と名付けられた。
母屋は茅葺の二階建て。
応接間のほかに十畳の客間、
七畳の茶の間があり、
二階は書斎となっている。
「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。」
そんな言葉を残した逍遥。
全てを俯瞰で見つめる作品は、
こだわり抜かれた一室で突き詰められた。
住まいが語るもの/武者小路実篤
武者小路実篤が晩年に暮らしたのは、
調布、仙川の住まいだった。
モダンな木造平屋建て。
玄関を入ってすぐの応接間には
洋風の調度品が並べられ、
編集者や画商など、客人が耐えなかったそうだ。
そして、当時はまだ珍しかったという
広いテラスやサンルーフも備えられている。
「自分の仕事は、自分の一生を充実させるためにある。」
実篤は、武蔵野の自然とともに
亡くなる前の年まで創作活動に没頭した。
現在もこの住まいは、実篤公園に残されている。
住まいが語るもの/夏目漱石
文豪 夏目漱石は、
生涯、借家暮らしだった。
ロンドンからの帰国後、
文京区千駄木に居を移す。
かつて森鴎外も暮らしたというその家は、
いわゆるオーソドックスな日本家屋で、
六畳の居間と書庫、八畳の座敷、
女中部屋の前には中廊下が備えられている。
ここで漱石は名作「吾輩は猫である」を執筆した。
鼠と戦った台所、猫のためのくぐり戸など、
作中に家の様子を垣間見ることができる。
「私は家を建てる事が一生の目的でも何でも無いが、
やがて金でも出来るなら、家を作って見たいと思つている。」
漱石の思いが叶うことはなかったが、
「猫の家」と呼ばれるこの住居は、
愛知県の明治村に移築、公開されている。
住まいが語るもの/石川啄木
詩人、石川啄木は、
生涯、貧しさとともに暮らした。
啄木と妻、そして母の三人で
農家の住まいを間借りする生活。
二階の板の間が、彼らに与えられた
たったひとつの空間だった。
啄木の日記には、こう記されている。
「この一室は、我が書斎で、又三人の寝室、食堂、応接間。」
のちに上京し、新聞社の校正係に採用された啄木は、
本郷で六畳二間の部屋を借りて創作に励んだ。
もちろん、妻と母も一緒に暮らした。
当時一階にあった床屋は、
今もなお営業を続けている。
住まいが語るもの/江戸川乱歩
作家、江戸川乱歩が晩年に暮らした
池袋三丁目の住居は、
ミステリアスな彼のイメージそのものだった。
母屋の奥に、純和風の土蔵があり、
二階の書斎で多くの作品を執筆した。
彼もお気に入りの場所だったが、
冬の寒さは耐え難いものがあったという。
「現世は夢。よるの夢こそまこと。」
乱歩は家を移るごとに
住居の見取り図を丁寧に作っていた。
これも推理小説のトリックに利用したのだろうか。
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