2018 年 3 月 のアーカイブ

大友美有紀 18年3月4日放送

180304-07
Greg L
「映画監督」クリント イーストウッド ハドソン川の奇跡

制御不能となった旅客機をハドソン川に不時着させ、
乗客全員を救った機長のその後を描いた映画、「ハドソン川の奇跡」。
クリント イーストウッドは、実話に基づき、
ストーリーに不必要なものをすべて取り除いて、
シンプルに簡潔に映画化している。

 僕は不必要なものがたくさんある映画を、以前作ったことがある。
 でも、人生が進むにつれて、
 もっと要領を得たものを作るようになってきたと思う。
 多分、僕が以前よりせっかちになってきているからかもしれない。
 早く本題に入れるなら、観客はじっと待っていなくても
 いいことにしようと決めたんだ。

「ハドソン川の奇跡」で彼が付け足した唯一のことは、
飛行機が墜落する最初の悪夢のシークエンスだけだった。
観客を映画に引き込むためのプラスアルファだった。

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大友美有紀 18年3月4日放送

180304-08
andrewasmith
「映画監督」クリント イーストウッド 15時17分、パリ行き 実話

数多くの実話を元にした映画を撮り、
リアル・ヒーローの信念と葛藤を描いてきた
映画監督クリント イーストウッド。
3月公開の「15時17分、パリ行き」も現実に起きた事件を描いている。

 大きな英雄劇だし、すべて真実だし、
 信念もあるし、我々が知らないことがたくさんあって
 ぜひ皆が知るべきだと思ったから
 
事件解決にあたった人物が本人役で出演。
撮影も事件現場で行った。
クリント イーストウッドは、
他の人間のフィルターを通して、この映画を描きたくなかったという。
リアリティを追求し、観客に追体験させる。
映画に関わるすべての人に「気づき」があるように。
それが、クリント イーストウッドの、最新のヒーローの描き方だ。

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佐藤延夫 18年3月3日放送

180303-01

逆境を生きる クロード・モネ

印象派を代表する画家、クロード・モネは、
晩年、目の病に悩まされた。
83歳のとき、白内障で失明の危機に陥ったが、
3度の手術で視力を取り戻した。
一般的に、白内障の手術をすると
青系の光が網膜に多く達するように感じて
青白い世界に見えるそうだ。
たしかに、このころの睡蓮は青みが増している。
さらに晩年になると、
輪郭がぼやけ、全体的に黄色がかった色彩に変わった。

光の魔術師と呼ばれる巨匠は、
自らの光に対しても、真摯に立ち向かった。

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佐藤延夫 18年3月3日放送

180303-02

逆境を生きる ポール・セザンヌ

近代絵画の父、ポール・セザンヌを
20年近くも苦しめたのは、糖尿病だった。
51歳のとき、その兆候が現れたが、
セザンヌは、アトリエのある山小屋まで毎日歩き、
質素な食事を心がけた。
この運動療法と食事療法が、
症状の悪化を食い止めたと言われている。
しかし晩年は、糖尿病の影響で
神経痛や目の病気も患っていた。
それでもセザンヌは、こんな言葉を残している。

「私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ。」

糖尿病の治療に役立つインスリンの抽出に成功したのは、
彼が亡くなって15年後のことになる。

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佐藤延夫 18年3月3日放送

180303-03

逆境を生きる エドガー・ドガ

印象派の巨匠、エドガー・ドガの作品は、
室内を描いたものが多い。
目の病気に悩まされていたのも、その理由に挙げられる。
普仏戦争に従軍した際、
寒さに目をやられ、まぶしがり症を患った。
36歳のとき目の焦点が合わなくなり、
40歳で右目の視力を失う。
晩年はほとんど何も見えなかったそうだ。
しかし彼は、薄れゆく視界の中で、
恐怖に苛まれながら、何かを掴んだのだろう。
のちに、盟友であるルノワールはこんな言葉を残している。

「ドガが真のドガとなったのは、50歳以降だ。」

芸術は、心でつくられる。

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佐藤延夫 18年3月3日放送

180303-04

逆境を生きる ピエール・ルノワール

フランス印象派の画家、ピエール・ルノワールは
リウマチと闘っていた。
47歳のとき、この原因不明の病は、
両手両足の痛みを伴い、彼の体に押し入った。
関節炎と診断され、リハビリで回復した数年後、
サイクリング中の事故で右腕を骨折。
関節リウマチの病状を加速させることになった。
手足の硬直や、顔面神経痛。
70歳を過ぎると車椅子に座ったまま作品に向かった。
場合によっては、筆を手に縛り付けることもあったという。
だが、たとえ健康を犠牲にしてでも創作意欲が尽きることはなかった。
それはルノワールの言葉が表している。

「痛みはいつか消えるが、美は永遠に残るじゃないか。」

芸術家としての、生き様があった。

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佐藤延夫 18年3月3日放送

180303-05

逆境を生きる フランシスコ・デ・ゴヤ

スペインの宮廷画家、フランシスコ・デ・ゴヤ。
46歳のとき、強烈なめまい、腹痛、発熱、衰弱、難聴など
悪夢のような症状に見舞われた。
メニエール病や原田病、脳の感染症などの病気が疑われたが、
原因もはっきりしないまま、聴力を失った。
しかし、ゴヤの代表作の多くは、
それ以降に描かれている。
晩年には、目も見えなくなり、
書くことも読むこともできなくなっていたそうだ。
彼は言う。

「絵画とは、全て犠牲と決断である。」

その覚悟は、心に響く。

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