春の死 久松俊勝
久松佐渡守俊勝は徳川家康の母、於大(おだい)の
再婚相手だった。
結婚したとき、於大は19歳、俊勝は17歳だった。
30歳半ばで桶狭間の戦いがあり
それ以降は義理の息子である家康に与して戦国を生きた。
50歳のとき、義理の兄水野信元が信長に疑いをかけられ
家康によって殺害されてしまう事件があった。
このとき俊勝は大いに怒って引退してしまったというから
骨のある人物だったのだろう。
妻の於大は俊勝の死後、俊勝の菩提寺で髪をおろし
2年間その菩提を弔った。
久松佐渡守俊勝が亡くなったのは天正15年3月14日。
西暦になおすと1587年4月21日のことだった。