大友美有紀 18年6月3日放送
「安野光雅」 テレビ草創期
絵本作家・安野光雅は、デビュー前は、美術教師をしていた。
1959年、日本教育テレビが開局する。民間初の教育専門局だ。
そこで、安野は「図工の先生」だった。
生放送の番組でスタッフは手探り。失敗の連続だった。
当時のテレビは、よく電波障害で画面が乱れ、
音声もザーッと雑音でかき消された。
その画像乱れの絵を用意しておいて
困っときには、カメラの前に出して上下に動かして
映像を遮断した。スタジオは大爆笑だった。
日本教育テレビは、のちにテレビ朝日となって様々な番組を生み出す。
美術教師だった安野光雅も、画家、装幀家、絵本作家と
幅広く活躍するのだった。