2018 年 8 月 のアーカイブ

河田紗弥 18年8月12日放送

180812-05

おやつの時間 〜携帯食としてのクッキー〜

今では、おやつの定番として愛されるクッキー。

もともとは、旅行の携帯食として、重宝されていた。
なぜなら、高い栄養価を簡単にとることができ、
その割に長期間の保存ができ、持ち運びも楽だから。

船旅や海軍の航海において、
冷蔵庫などの設備が存在しない中で、
長期間、全員分の食料を保存するスペースを確保することは難しい。
そこで、手軽な携帯食であったクッキーが必需品だったのだ。

その証拠に、
1588年のスペイン海軍では、
水平や水夫の1日の手当は1ガロンのビールと
1ポンドのクッキーだった。

しかし、携帯食としてのクッキーの質感は硬く乾燥しており、無糖だった。
そんなクッキーが、お菓子として開発されはじめたのは
7世紀のペルシャと言われている。

ペルシャ帝国の料理家によって、
はちみつや果物を入れて、
甘くする工夫をしたことがはじまりだった。

topへ

河田紗弥 18年8月12日放送

180812-06

おやつの時間 〜甘いクッキーのはじまり〜

14世紀になると、お菓子としてのクッキーは
ヨーロッパにおいて当たり前の存在にまで普及し、
あらゆるスタイルで製造され、
すべての階層の人が日常的に食べるお菓子にまで進化を遂げていた。

その大きなきっかけとなったのが
キリスト教国のイベリア半島奪還を目的に行われた700年にわたる戦い
”レコンキスタ”であったと言われている。

イスラム教の国が
スペインやポルトガルがあるイベリア半島を征服したことに対する
キリスト教国の奪還事業であった。

そのため、軍隊の遠征には携帯食として
クッキーが大活躍だったのだろう。

1620年ごろには、
船旅に強いというクッキーの強みを生かし、
オランダを経て、アメリカに持ち込まれ、全米に広まることとなった。

topへ

河田紗弥 18年8月12日放送

180812-07

おやつの時間 〜日本とクッキー〜

1543年。
ポルトガル人によって種子島に伝えられたのは
鉄砲だけではなかった。

クッキーも同じタイミングで、日本に伝わったと言われている。

鉄砲は瞬く間に日本全国に普及したにもかかわらず、
クッキーが庶民の間に普及するまでには
かなりの期間がかかった。

幕末時代、長崎の医師で蘭学者である柴田方庵が
水戸藩からの依頼で製法書を作って送ったという記録がはじめて。

また、薩摩藩にビスケットが納められたという記録もあるが、
どちらも兵士の食料としての扱いであり、
お菓子としてのクッキーとして普及したのは、
明治時代になってからであった。

topへ

河田紗弥 18年8月12日放送

180812-08

おやつの時間 〜クッキーからはじまる文明開化〜

日本において、
クッキーを庶民のためのお菓子として広めたのは
ごぞんじ風月堂。

江戸時代からつづく老舗お菓子メーカーだ。

もともとは、和菓子の御用商人として、
大名たちのお菓子作りを一手に引き受けていたが、
明治維新により西洋文明が導入されていくことを見越し、
洋菓子の開発にいち早く取り組むことを決めた。

そのきっかけとなったのが、クッキーだった。

明治5年、五代目の喜右衛門は西洋菓子の製造を開始し、
明治8年には、クッキー第一号の販売を開始している。

これをきっかけに、
日本でもお菓子としてのクッキーが普及され、
おやつの時間に、
子どもたちを笑顔にする存在になっていった。

topへ

渋谷三紀 18年8月11日放送

180811-01
deletio
山について「槍ヶ岳」

槍ヶ岳は日本で5番目に高い山だ。
標高は3180メートル。
名前の通り天に槍を衝くような形が特徴で、
「日本のマッターホルン」と呼ばれている。

1823年、初めて槍ヶ岳の登頂に成功したのは僧の播隆。
危険な山道に縄をかけ鎖をかけた。
一里塚に石仏を置き、
多くの人が安全に登れるよう山を開いた。

日本アルプスの麓、松本駅では、
播隆上人の銅像が今日も静かに鋭峰を見つめる。

topへ

渋谷三紀 18年8月11日放送

180811-02
Kirill Skorobogatov
山について「間ノ岳」

間ノ岳が日本で3番目に高い山になったのは、
2014年のこと。

国土地理院が最新の衛星システムで計測した結果、
標高を3190メートルに改定した。
測量技術の進化には目をみはるばかりだが、
近年活発化している
日本列島の地殻変動の影響もあると見られる。

1万年以上前の氷河期には、
間ノ岳が日本最高峰だったという説もあり、
ああ、山は生きているのだと、気づかされる。

topへ

渋谷三紀 18年8月11日放送

180811-03

山について「奥穂高岳」

「無垢の爾を、自分は絶愛する」
と山に叫んだのは、
1904年に槍ヶ岳から穂高岳を初縦走した鵜殿正雄。
日本で3番目に高い山「奥穂高岳」の名付け親である。

彼の紀行文を読むと、
奥穂山頂からの下降地点にある通称「間違い尾根」に、
当時の案内人たちも誤って踏み込んだとある。
まさに時代をこえた「間違い尾根」だ。

未知の岩稜をたどり、難所を乗り越え、
必死の思いでたどり着いた大景観。
鵜殿が震えた無垢な感動を、
私たちはもう味わうことができない。

topへ

渋谷三紀 18年8月11日放送

180811-04
Daisuke tashiro
山について「北岳」

その高さ3193メートル。
日本で2番目に高い山、北岳。
平安時代の「古今和歌集」や「後拾遺和歌集」、
鎌倉時代の「平家物語」、
最近でも高村薫の「マークスの山」で取り上げられるほど
古くから日本人の心を掴んできた名峰だ。

夏の降雨量が多いため、絶滅危惧種に数えられる
キタダケソウやタカネマンテマ、キタダケトリカブトなど
珍しく、さらに美しい植物が多く見られることで知られている。

富士山より険しいという厳しい顔。
その裏にある、華やかな顔。
北岳の持つ意外性に登山者は魅せられるのかもしれない。

topへ

渋谷三紀 18年8月11日放送

180811-05

山について「富士山」

標高3776メートル。
言わずと知れた日本一の山、富士山。
富士山は静岡県と山梨県の間にまたがっているが、
その山頂はどちらの県にあるだろう。
答えは・・・どちらでもない。
富士山本宮浅間大社の私有地だ。
八合目以上は境内で、頂上には奥座が鎮座している。
国のものでも誰かのものでもなく、神様のいる場所。
富士山は日本人の心の真ん中に高く高くそびえたっている。

topへ

大友美有紀 18年8月5日放送

180805-01
Roland Hunziker
「遠いアフリカ」ブルキナファソ 独立記念日

今日、8月5日はブルキナファソの独立記念日です。
遠い遠い西アフリカの国。
マリ、ニジェール、ベナン、トーゴ、ガーナ、
コートジボワールに囲まれた内陸の国。
かつては、フランスの植民地でした。
そして1960年の今日、
フランス共同体内の共和国として独立。
当時の国名は、オートボルタ。
オートは、上という意味。
大西洋に注ぐボルタ川の上流にあったから。

 今の国名、ブルキナファソとは、
 「高潔な人々の国」という意味。

知らない国の、素敵な名前です。

topへ


login