L’Ubuesque Boîte àSavon
日本美人史(奈良時代)
正史に美しいと称えられた、奈良時代の元正天皇。
35歳の時、未婚のまま母の元明天皇から譲位された。
当時の感覚では初老に近い年齢だが、
譲位の際の詔には、「艶やかで美しい」外見と、
「慈悲深く落ち着いた」内面の美しさが記されている。
9年で律令制を強化し日本書紀を完成させた。
聖武天皇に譲位した後も、
病気がちな皇子にかわり政を務めた。
天平美人は、美しさに逞しさを兼ね備えた
優秀なリーダーだった。
L’Ubuesque Boîte àSavon
日本美人史(奈良時代)
正史に美しいと称えられた、奈良時代の元正天皇。
35歳の時、未婚のまま母の元明天皇から譲位された。
当時の感覚では初老に近い年齢だが、
譲位の際の詔には、「艶やかで美しい」外見と、
「慈悲深く落ち着いた」内面の美しさが記されている。
9年で律令制を強化し日本書紀を完成させた。
聖武天皇に譲位した後も、
病気がちな皇子にかわり政を務めた。
天平美人は、美しさに逞しさを兼ね備えた
優秀なリーダーだった。
日本美人史(平安時代)
平安時代、美人の条件は
切れ長の目、ひょうたん型の顔、長い髪・・・
中でも重要だったのが「知性」だ。
「和歌が詠めること」が美人の絶対条件で、
そうでなければ出会いもなかった。
ちなみに、美人と名高い小野小町の絵や彫像は現存せず、
後世に描かれた絵も後姿がほとんど。
素顔は謎に包まれている。
絶世の美女は妄想から生まれたのかもしれない。
日本美人史(平安末期)
武家の時代が訪れ、
雅な平安女性とは一線を画す女性たちが登場した。
中でも女武者の巴御前は
「色白く髪長く容顔まことに優れた」美人でありながら、
敵の首を素手で引き千切った、
なんてエピソードが残されている。
これは極端な例だけれど、
女性らしさなんて、時代と共に変わるものだ。
日本美人史(江戸時代)
江戸の街でモテるには、
流行に敏感でなければならなかった。
当時のファッションリーダーは「遊女」。
吉原などで名を馳せた美女「高尾太夫」の
浮世絵は大人気となった。
高尾太夫は11代まで続いたといい、
史実、創作ふくめさまざまな逸話が残っている。
乳母を従え、花魁道中を子連れでこなした「子持ち高尾」は、
ワーキングマザーのはしりといえそうだ。
日本美人史(明治時代)
日本でミスコンが始まったのは明治時代のこと。
一般人が参加した初のミスコンは、
明治41年の「令嬢美人写真募集」だ。
1等になった16歳の末弘ヒロ子さんは
退学処分を受けたが、学長の計らいで結婚した。
2等の金田ケン子さんは200通の結婚申し込みを受け取り、
3等の土屋ノブ子さんは化粧品会社の広告モデルとして活躍した。
選ばれるだけではで終わらない。
明治美人は未来を選び取る強さを持っていた。
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