Photo by jamesjustin
原宿と浮世絵
若者文化の街。
原宿。
その賑やかな通りを
一本入った所に、
「太田記念美術館」はある。
そこは浮世絵を展示する美術館。
作品を保護するため薄暗い館内。
訪れる人は思わず小声になる。
そして緻密に描かれた人物や、
美しい色彩の景色に見入るのだ。
海外からも
多くの観光客が足を運んでいるという。
最新のポップカルチャーと
江戸庶民の芸術。
原宿で、2つの文化を
味わってみるのはいかがだろう。
Photo by jamesjustin
原宿と浮世絵
若者文化の街。
原宿。
その賑やかな通りを
一本入った所に、
「太田記念美術館」はある。
そこは浮世絵を展示する美術館。
作品を保護するため薄暗い館内。
訪れる人は思わず小声になる。
そして緻密に描かれた人物や、
美しい色彩の景色に見入るのだ。
海外からも
多くの観光客が足を運んでいるという。
最新のポップカルチャーと
江戸庶民の芸術。
原宿で、2つの文化を
味わってみるのはいかがだろう。
北斎と円
世界中の芸術家に影響を与えた
日本を代表する画家、葛飾北斎。
北斎が絵を描くときに使っていたのは
筆だけではない。
ぶんまわしと呼ばれる
竹で作られたコンパスを使って
いくつもの円を書きながら
北斎は絵の構図を決めていた。
最も有名な神奈川沖浪裏も
19の円を描いて構図を決めたとされている。
すべてのものはぶんまわしと
定規があれば書けるとも語っていた北斎。
何気ない風景の中にも
たくさんの円と線が見えていたのだろう。
北斎と白紙
世界中の芸術家に影響を与えた
日本を代表する画家、葛飾北斎。
彼が90回以上も
引越しを繰り返したことは
よく知られているが
自分の名前さえ30回も変えている。
北斎はその1つに過ぎない。
すべては絵を描くことに集中するため。
肉筆浮世絵や挿絵、版画、
人物画や春画や風景画、そして北斎漫画。
次々と新しい領域に挑戦し続けた北斎。
天があと5年の間、
命保つことを私に許されたなら、
必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう。
と言い残し、90歳で世を去った。
引越しや改名を何度も何度も繰り返すことで
自らを常に真っ白な紙のような状態にしながら
北斎は自分の理想の絵を
追い続けていたのかもしれない。
グルメな浮世絵
美味いものを食べたい。
そんな時、ネットを見れば色んな飲食店の情報を
写真と口コミで見ることができる。
江戸時代、その役割を担っていたのは浮世絵だった。
歌川芳艶が描いた御府内流行名物案内双六では、
双六の形式を取りながら当時江戸で流行していた名物を描いている。
蕎麦、蒲焼、すし、天ぷら。
色鮮やかな食べ物や飲食店の名前も数多く見ることができる。
今の時代も江戸の時代も
グルメな国民性は変わっていない。
江戸の大物プロデューサー
広重、北斎、歌麿、写楽。
浮世絵師と聞けば、著名な天才絵師が何人も思い浮かぶ。
この誰もが知る浮世絵師たちの陰に、
江戸時代の敏腕プロデューサーがついていたということは
あまり知られていない。
蔦屋重三郎。
浮世絵や本を出版する版元をしていた彼は、
時代をいち早く察知し、発信することに長けていた。
歌麿や写楽、葛飾北斎など、
才能あふれる新人を発掘しては、流行作家に育て上げていった。
彼のプロデュースによって、江戸の文化、
世界の絵画は大きく進化した。
重三郎なくして、今の美術界はあり得ない。
プロデュースも立派な才能なのだ。
浮世絵の中にいる人
浮世絵師 歌川広重。
日本各地の風景を大胆な構図で描き上げた。
『東海道五十三次』を
教科書で見た人も多いだろう。
それらの風景の中には、
そこで暮らす人が描かれている。
降りしきる雪の中、背中を丸めて歩く旅人。
裸になって海ではしゃぐ子供。
傘をさして立ち話をする女性。
酔っ払って醜態を晒す人。
眠りについた子を背負う父親。
200年近く前に描かれた浮世絵の中に、
今と変わらない人の営みを感じる。
人間の根っこのところは、
時代や服装が変わっても、
そう変わらないのかもしれない。
浮世絵を育てた男
菱川師宣、葛飾北斎、歌川広重。
浮世絵を、日本を代表する芸術へ押し上げたのは、
彼らのような絵師の功績だけではない。
美術商だった林忠正。
ジャポニスムに沸くパリを拠点に、
世界中を周り、日本美術を広めた。
当時はまだ価値も知られていなかった、
数多くの浮世絵作品を海外に流出させ、
巨額の富を得た為に、国内で反感を買った。
売国奴と呼ばれたこともあった。
しかし海外からの評価が上がったことで、
国内でも一級の芸術品として、
広く認識されるようになったのだ。
絵師たちが生んだ作品を、林が名作へと育て上げた。
そう言っても過言ではない。
葛飾北斎の発想
色鮮やかで、描写も構図も自由な浮世絵。
葛飾北斎は、誰よりも枠にとらわれず、
見る人を驚かせた。
徳川家斉に呼ばれ、
御前で即興の絵を書いていた時のこと。
細長い紙に、刷毛で藍色を塗ると、
籠に入れてきた鶏の足に朱色を塗って、
紙の上を歩かせた。
「これはこれ竜田川の景色なり」と言い残し、
その場を去ったという。
一つ一つの足跡が、
まるで清流に流れる紅葉のように見えたのだ。
「絵は筆で書く」、
そんな常識すらも超越する創意工夫が、
庶民だけでなく、時の将軍さえも驚嘆させた。
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