巴里の灯
1926年、チャールズ・リンドバーグは一つの夢を抱いた。
大西洋を飛行機で横断してみせる。
だが当時5800kmも飛べる飛行機はなかった。
彼は地元の実業家たちから資金を獲得。飛行機の製造を始めた。
灯りも窓も捨て、燃料タンクを目一杯積んだ飛行機は、
スピリット・オブ・セントルイス号
と名付けられた。
1年後、セントルイスの夢をのせた翼は、
ニューヨークからパリに向けて飛び立った。
リンドバーグ、25歳の春だった。
巴里の灯
1926年、チャールズ・リンドバーグは一つの夢を抱いた。
大西洋を飛行機で横断してみせる。
だが当時5800kmも飛べる飛行機はなかった。
彼は地元の実業家たちから資金を獲得。飛行機の製造を始めた。
灯りも窓も捨て、燃料タンクを目一杯積んだ飛行機は、
スピリット・オブ・セントルイス号
と名付けられた。
1年後、セントルイスの夢をのせた翼は、
ニューヨークからパリに向けて飛び立った。
リンドバーグ、25歳の春だった。
Joe, Jenn and Corrilyn
巴里の灯
1927年5月20日の夜。
チャールズ・リンドバーグは猛烈な睡魔と戦っていた。
世界初の大西洋単独横断を目指し、
ニューヨークを飛び立ってから12時間。
辺りは暗くて何も見えず、下は嵐で荒れ狂う海。
一瞬でも眠れば命はない。だが疲労は容赦がなかった。
彼は眠気覚ましに海の上スレスレに低空飛行し、
夜明けまでの7時間を乗り切った。
翌日、ついにヨーロッパの海岸が見えた。
驚いたことに予定より2時間半も早く着いていた。
Photo by Josh Wilburne
巴里の灯
1927年5月21日の夜。チャールズ・リンドバーグをのせた
スピリット・オブ・セントルイス号はフランス国境を超えた。
人類初、大西洋単独無着陸飛行。
ニューヨークからパリまで33時間かけた
不眠不休の冒険がようやく終わろうとしている。
眠気は冷め、エンジンも快調。あとは着陸するだけ。
しかし肝心の空港が見つからなかった。
滑走路の灯を探してリンドバーグが見たもの。
それはエッフェル塔と彼の栄誉を称えるために集まった自動車の、
何万ものヘッドライトだった。
巴里の灯
1927年5月21日午後10時21分。
チャールズ・リンドバーグをのせた
スピリット・オブ・セントルイス号が、
パリのル・ブルジェ空港に着陸した。
世界初の大西洋単独無着陸飛行。
ニューヨークからの5,810kmを、
33時間29分30秒かけて飛びきった。
パリの上空で を見たとき、
翼よ、あれが巴里の灯だ!
と叫んだというのは作り話。実際に発した言葉は、
英語を話せる人はいませんか?
または
トイレはどこですか?
だったそうだ。どちらにせよ、
パリ市民の大歓声にかきされてしまったことだろう。
巴里の灯
世界で初めて飛行機で大西洋を横断した、
チャールズ・リンドバーグにはもう一つの世界初があった。
それは人工心臓の開発。
彼には心臓弁膜症に苦しむ姉がいた。
機械で全身に血液を送ることができないか
アメリカ初のノーベル賞受賞者アレクシス・カレル博士と協力し、
1935年、「カレル・リンドバーグポンプ」の開発に成功。
残念ながらその前年、姉は帰らぬ人になってしまったが、
彼は心臓病に悩む大勢の人の希望に灯をともした。
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