麒麟坊
歌会始
宮内庁の記録を読むと
宮中で行われていた新年の歌会始に
一般人が参加できるようになったのは
1874年、明治7年のことらしい。
当時は歌会始ではなく
歌御会始(うたごかいはじめ)と呼ばれていた。
歌御会始が歌会始になったのは昭和3年からだ。
1962年1月12日
歌会始にとって画期的な出来事があった。
初めてのテレビ中継である。
初めて一般の参加が認められた
明治7年の応募が4139首。
いまは2万首を超える応募があるのも
テレビの影響かもしれない。
麒麟坊
歌会始
宮内庁の記録を読むと
宮中で行われていた新年の歌会始に
一般人が参加できるようになったのは
1874年、明治7年のことらしい。
当時は歌会始ではなく
歌御会始(うたごかいはじめ)と呼ばれていた。
歌御会始が歌会始になったのは昭和3年からだ。
1962年1月12日
歌会始にとって画期的な出来事があった。
初めてのテレビ中継である。
初めて一般の参加が認められた
明治7年の応募が4139首。
いまは2万首を超える応募があるのも
テレビの影響かもしれない。
歌会始
明治2年、15歳の少年だった明治天皇は
歌会始でこんな歌を詠んだ。
千代よろづ 変わらぬ春のしるしとて 海辺を伝う 風ぞのどけき
この年のお題は
「春風来海上」(春風、海上より來る)
翌年は「春来日暖」(春来たりて日あたたかし)
漢字ばかりのお題は
意味はわかっても読み下すのがむづかしいが
当時の歌会始は天皇とその側近だけで行われていたので
格別の支障もなかった。
このお題が誰にでもわかるやさしいものになったのは
戦後の昭和22年からだ。
ちなみに今年は「光」
16歳の高校生も入選を果たしている。
歌会始
歌会始に使われる言葉はむづかしい。
天皇陛下の歌は「御製(ぎょせい)」
皇后陛下の歌は「御歌(みうた)」
司会役を「読師(どくじ)」
歌を読み上げる役を「講師(こうじ)」
天皇から招かれて歌を詠む人は「召人(めしうど)」
歌会始のテレビ中継はあっても
ラジオ中継がない理由がよくわかる。
歌会始で発表される歌は
まず読み上げられ
それから節をつけて歌われる。
聞きなれない言葉やメロディは
千年の昔から伝わる文化でもある。
歌会始
歌会始にはお題がある。
とはいえ、歌の種類は多岐にわたる。
風景を詠んだ歌、出来事を詠んだ歌、
季節の歌、そして恋の歌。
そういえば、と気づくことがある。
天皇には恋の歌がない。
歌会始に限らず、恋の歌がない。
10万首の歌を詠んだ明治天皇でさえ
ごく数首が数えられるくらいだ。
恋の歌をお読みになれないお立場なのだと
今更ながらに気づくのだ。
歌会始
太平洋戦争がはじまった翌年の昭和17年、
歌会始に一般から寄せられた歌は
46106首にも及んだ。
空前絶後の応募数だった。
激動の時代に
人は思いを歌に託すのだろうか。
この年のお題は「連峰雲(れんぽうのくも)」
昭和天皇はこんな歌をお読みになっている。
峰つづき 覆うむら雲 吹く風の 早く祓えと ただ祈るなり
歌会始
人々が集まって同じお題で歌を詠み、披露する歌会。
年のはじめに開かれる歌会始は
宮中の行事として長い歴史を持っている。
明治時代から一般の応募を受け付け、
昭和の中ごろからテレビ中継もされている。
2万を超える応募がある。
外国人で入選した人もいる。
最年少は12歳だ。
今年、平成最後の歌会始は1月16日。
お題は「光」
新しい時代をどんな光が照らすのか
楽しみではある。
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