走り出す 用意ドン
「位置について、用意、ドン」
というスタートの合図、
いったいいつ頃から使われていたのでしょうか。
明文化されたのは1929年発行の陸上競技規則だったという。
ではそれよりももっと前は、どんな合図が使われていたのか。
1883年(明治16年)に行われた東京大学の運動会では、
「いいか、ひいふうみい」
で走り出していたと伝えられている。
ちなみに翌年は、
「よろしゅうごわすか、用意」
そのほか「位置について」を指示するかけ声で
「腰を上げて待てえ」
「おんちゃなケツあげい」
なんてのもあったといいます。
2019 年 1 月 19 日 のアーカイブ
川野康之 19年1月19日放送
川野康之 19年1月19日放送
走り出す タクリー号
日本の最初のガソリン自動車は、
自転車の輸入販売業者であった吉田真太郎らの手によって作られた。
アメリカ車を見本にしながら、いろんな部品を工夫して、
どうにか組み立てられた自動車。
ガタクリガタクリ走るので「タクリー号」と呼ばれた。
1907年(明治40年)のことである。
タクリー号は高価であったため
事業としては成功しなかったというが、
ともかくここから日本の自動車の歴史がガタクリと走り出したのである。
一方で吉田真太郎は事業に失敗し、変転の多い人生を送った。
最後に手がけたのは温泉掘削事業であったという。
川野康之 19年1月19日放送
走り出す 圓太郎バス
東京の町中を元気に走っているバス。
いつ頃から走り出したのだろうか。
1923年(大正12年)、関東大震災に襲われた東京。
市内交通の要めであった市電は
レールが壊れるなど壊滅的な被害を受けた。
復旧の見通しも立たなかった。
東京市は、その頃まだ一般的ではなかった乗り物自動車に注目。
アメリカからT型フォード・トラックのシャーシを輸入し、
国内で急造したボディを載せてバスに仕立てた。
その姿が明治時代のおんぼろ馬車「圓太郎馬車」に似ていたので、
市民から「圓太郎バス」と呼ばれて親しまれた。
これが東京の市営バス、現在の都営バスの原点となった。
川野康之 19年1月19日放送
走り出す 競走馬の試験
馬にも試験があります。
競走馬がデビューするために必ず合格しなければならない超難関、
ゲート試験。
気性の荒い馬ほど難関度が増すという。
落ち着いてゲートに入れるか。
ゲート内に入ってから暴れないでいられるか。
ゲートが開いたらスッと出られるか。
そういう競馬馬として最低限のスタートが
きちんとできるかということがテストされます。
不合格の場合はどうなるか。
再試験です。
合格するまではデビューできない。
走り出すまでは馬もたいへんなんだな。
川野康之 19年1月19日放送
走り出す 大師電気鉄道
今からちょうど120年前。
1899年(明治32年)1月21日、
1両の電車が満員の乗客を乗せて
六郷橋から川崎大師へ向かって走り出した。
多摩川と平行に走る約2kmの単線。
日本で3番目の営業運転電車、大師電気鉄道の開通である。
この日以来、川崎大師へは毎年各地からの参詣客で
大いに賑わうこととなった。
電車に乗って初詣をする日本人の
新しい習慣はここから始まったという。
大師電気鉄道は後に京浜急行と名前を変え、
品川から横浜、そして三浦半島までを結ぶことになる。