お茶のはなし イギリスのお茶文化
お茶文化を代表する国、イギリス。
ヴィクトリア朝時代の元首相、
ウィリアム・グラッドストンはかつて、紅茶にまつわるこんな言葉を残した。
紅茶は、
寒いときには、温めてくれるでしょう。
気分が落ち込んでいる時には、元気づけてくれるでしょう。
気分が高ぶっている時には、落ち着かせてくれるでしょう。
1日7回ものティータイムを過ごすと言われるイギリス人。
回数こそ敵わないが、
お茶が欲しくなる瞬間は、案外どこの国でも変わりないようだ。
お茶のはなし イギリスのお茶文化
お茶文化を代表する国、イギリス。
ヴィクトリア朝時代の元首相、
ウィリアム・グラッドストンはかつて、紅茶にまつわるこんな言葉を残した。
紅茶は、
寒いときには、温めてくれるでしょう。
気分が落ち込んでいる時には、元気づけてくれるでしょう。
気分が高ぶっている時には、落ち着かせてくれるでしょう。
1日7回ものティータイムを過ごすと言われるイギリス人。
回数こそ敵わないが、
お茶が欲しくなる瞬間は、案外どこの国でも変わりないようだ。
Teddy Song
お茶のはなし 茶柱の奇跡
縁起がいい茶柱が立った。
お茶の時間に稀に起こる奇跡だ。
実際、ここ最近、茶柱に出会った
経験をしたひとは少ないのではないだろうか。
それもそのはず、
まず、茶葉に入っているお茶の茎が
急須の網の目をかいくぐり、湯飲みに入ること
自体が珍しい。
さらに最近の急須は、その手前で
茎をストップさせる網の目の細かい茶こしがセット
されていることも多い。
さらに、背伸びしてちょっと高いお茶に手を
伸ばしても、茶柱は遠ざかる。
茶柱の縁起担ぎは、
駿河の茶商人が、質が劣る茎茶を売るための
セールストークだったという説がある。
贅沢なお茶ではなく、番茶や茎茶を家で飲む。
そんなありふれた日常に、茶柱が小さな幸せを呼び込む。
とても温かなジンクスだ。
お茶のはなし 源実朝の二日酔いとお茶
鎌倉幕府第3代将軍、源実朝。
北条家の庇護のもと若干12歳で征夷大将軍に任ぜられた。
と言うと華々しいが、実際は、
北条家による執権政治の始まりであった。
政治への関与は許されない一方で、
周囲には暗殺やクーデターの気配ばかり。
若いころから好きだった文学趣味と、
お酒に救いを求めたのも無理からぬことかもしれない。
『吾妻鏡』には、
連日の深酒による二日酔いに苦しむ
実朝のエピソードが記されている。
臨済宗の僧・栄西が二日酔いの将軍を見かねて、
お茶を献じたのだという。
さらに、栄西自らお茶の効能を説いた『喫茶養生記』を
将軍に献上したことで、
武家社会にも喫茶文化が広まった。
当時すでに、お茶に含まれる
ビタミンCやカフェインなどの効能は
知識階級に知られていたのだ。
鎌倉幕府成立から北条政権への過渡期に翻弄された将軍は
お茶の効能だけでは救われなかった。
歌詠みとしても知られる源実朝だが、
28歳の若さで身内に暗殺され
今でもその才能を惜しまれている。
お茶のはなし 参勤交代とお茶菓子の発展
ホッと一息つける、お茶の時間。
温かいお茶の隣に欠かせないのが、お茶菓子。
日本各地には、銘菓と呼ばれる
地元ならではのお茶菓子があるものだ。
この発展に、江戸時代の参勤交代が
関係しているのをご存知だろうか。
一年おきに、各地の大名が
江戸と領地を行き来する参勤交代。
将軍への献上品に始まり、
江戸での贈答品や茶会用にと、
土地にちなんだお茶菓子づくりが奨励された。
名物に旨いものあり。
たまには地元の銘菓とホッと一息、
お茶の時間をどうぞ。
Patrick Vierthaler
お茶のはなし 千利休のコミュニケーション論
茶人・千利休。
茶道の祖として日本の伝統に
大きな影響を及ぼした彼は
戦国武将をはじめ、
数多くの弟子を抱えていた。
そんな利休の言葉は、
今もなお含蓄に富んでいる。
何にても 道具扱ふたびごとに
取る手は軽く 置く手重かれ
茶道具を持つ時は、軽やかに。
置く時は、丁寧に。
道具を大事に扱いながら
優美な所作を心がけることが、
ともに茶を嗜む人への、
もてなしにも通じる。
茶席におけるコミュニケーション論の、
核心をつく一言だ。
もしも利休が、現代に生きていて。
ビジネス書を出版したとしたら、
きっとベストセラー間違いなしだろう。
お茶のはなし ボストン茶会事件
アメリカ独立戦争のきっかけは、
お茶が起こした争いだった。
1773年の「ボストン茶会事件」だ。
当時、イギリスの植民地だった北アメリカで、大流行の紅茶に
一方的な通告で税金がかかることになった。
植民地政策へ不満が募る中、
ボストン港に茶葉を積んだ東インド会社の貿易船が停泊した。
その船を「ボストン港をティー・ポットにする」と叫びながら、
急進派市民が襲撃し、茶箱を海へ投げ捨てた。
この事件は、紅茶の不買運動も引き起こした。
アメリカに、紅茶派よりもコーヒー派が
多いのはそのためだと言われる。
どちら派であっても、お茶には平和が似合う。
お茶を穏やかに味わえる幸せを、今日も感じよう。
のりりん
お茶のはなし 一期一会
千利休が説いた、「一期一会」。
すべての茶会は、一生に一度の出会い。
そんな心構えで誠意を尽くす、茶道の真髄。
戦国時代、お茶は武将の嗜みだった。
刀をもって入れないように茶室は狭く作られ、
武将は刀を外において、ただお茶を嗜んだ。
戦がはじまれば、もう二度と会えないかもしれない。
そんな覚悟で、お茶に心をこめた。
一期一会は、私たちの毎日にもある。
当たり前のように顔を合わせる人でも
いつかは別れるときがくるのだ。
それに気づくだけで、
今日という日が、愛しく尊いものになる。
お茶のはなし 織田信長のお茶会政治
お茶好きで知られる武将に、織田信長がいる。
信長が特に愛したのは茶の湯、いわゆるお茶会である。
当時の褒美である土地の代わりに、茶器を与えたり、
お茶会を催す権限を特定の部下だけに与えるなど、
お茶会を政治的に利用した。
他の戦国武将たちが圧倒的な武力で政権を確立していく中で、
武力とは正反対のお茶会で天下を目指してしまうとは。
あなどるなかれ、お茶の力。
Copyright ©2009 Vision All Rights Reserved.