英一蝶・島一蝶
元禄十一年。
江戸の絵師、英一蝶(はなぶさいっちょう)が島流しに遭った。
行き先は三宅島。
その罪状は諸説あって定まらない。
時の権力者、柳沢吉保が
おのれの出世のために、
自分の娘を公方様に差し出した。
そんな醜聞を揶揄する絵を描いたのが
致命的だったんだ。
いやいや、
生類憐れみの令で禁じられていた
魚釣りをしたせいさ。
当世の人気絵師を襲った過酷な運命。
口さがない江戸っ子の噂が噂を呼んだ。
英一蝶・島一蝶
元禄十一年。
江戸の絵師、英一蝶(はなぶさいっちょう)が島流しに遭った。
行き先は三宅島。
その罪状は諸説あって定まらない。
時の権力者、柳沢吉保が
おのれの出世のために、
自分の娘を公方様に差し出した。
そんな醜聞を揶揄する絵を描いたのが
致命的だったんだ。
いやいや、
生類憐れみの令で禁じられていた
魚釣りをしたせいさ。
当世の人気絵師を襲った過酷な運命。
口さがない江戸っ子の噂が噂を呼んだ。
英一蝶・島一蝶
英一蝶という絵師がいた。
四十七歳で三宅島へ島流しになった。
島へ送られるその日、
江戸霊岸島に大勢の見送りが詰めかけるなか、
一蝶はこんな約束をする。
「島に行ったら、
干物をつくって生計を立てる。
その魚のエラに必ず松の葉を入れておく。
松の葉の入った干物を見つけたら、
わたしが生きている証しと思ってほしい」
三年後、
じっさいに松の葉が入った干物を
見つけた男がいる。
松尾芭蕉の一番弟子、宝井其角。
英一蝶の、無二の親友だった。
Norio.NAKAYAMA
英一蝶・島一蝶
江戸の人気絵師、
英一蝶は島流しに遭った。
島にいても絵をあきらめなかった。
江戸の友人たちに
絵の具の仕送りを頼んだらしい。
流人であっても、手紙や物資のやりとりは
許されたのだろうか。
一蝶は絵を江戸に送った。
その絵は珍重され、高値で取引された。
島の人にも観音様や天神様の絵を進呈した。
この時代の英一蝶の作品は
のちに「島一蝶(しまいっちょう)」と呼ばれるようになる。
島一蝶の作品で財を成したのか、
英一蝶は罪人の身でありながら島の娘と
所帯をもって、子どもを二人ももうけた。
江戸の人気絵師は、
ころんでもただでは起きない、
したたかな男だった。
英一蝶・島一蝶
江戸の人気絵師、
英一蝶が島流しに遭ったのは、
元禄十一年。
その三年後、浅野内匠頭が
江戸城殿中で吉良上野介に斬りかかる。
その次の次の年、浅野の元家臣四十七名が
吉良邸を襲撃し、主君の遺恨を晴らす。
世に言う、赤穂浪士の討ち入り。
三宅島にもその知らせは届いていただろうか。
英一蝶、齢、五十をとおに越えていた。
その後、徳川綱吉が亡くなる。
将軍逝去の恩赦で無罪放免となり、
英一蝶は江戸に帰れることになった。
島には十二年いた。
江戸帰還の二年前、親友其角が亡くなっていた。
酒好きで、豪放磊落で、憎めない男だった。
二度といっしょに遊べないことが悔しかった。
帰りの船のなかで一頭の蝶を見つける。
これは自分だ。自分は生まれ変わって
生きなおすのだ。
そう思った男は、古い名を捨て、
「英一蝶」の名をはじめて名乗った。
五十八歳になっていた。
英一蝶・島一蝶
江戸の人気絵師、
英一蝶は島流しに遭って十二年後、
将軍逝去の恩赦で江戸帰還をゆるされる。
不在の十二年を埋めるかのように。
精力的に絵を描いた。
この時期の作品で、
『雨宿り図屏風』という絵がある。
降り出した雨を避けて、大きな屋敷の
庇の下に人々があわてて駆け寄る図。
侍。あきんど。お坊さん。遊女。
老人も子どもも野良犬もいる。
夕立は身分の上下に関係なく、
平等に降ってくる・・。
十七の時、狩野派に入門しながら、
すぐに破門された英一蝶。
市井の絵師として、人間の愛らしさや
滑稽さを描いてきた。
江戸に帰って十五年後。
残りの人生をめいっぱい使いきって、
英一蝶死す。七十三歳だった。
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