2019 年 10 月 26 日 のアーカイブ

村山覚 19年10月26日放送



球場の話  駒澤球場の暴れん坊

昭和30年代。
世田谷の駒沢に、プロ野球チームの本拠地があった。

プロ野球チームの名前は、フライヤーズ。
若くて威勢の良い選手たちは気性が荒く、
乱闘や野次も多かったため
駒沢の暴れん坊と呼ばれていた。

球場のすぐそばに選手寮があった。
スパイクを履いたまま帰っていく暴れん坊たちを
勝っても負けてもファンが取り囲んだ。

オリンピックの整備計画のために
10年も経たずに取り壊された幻の「駒澤球場」。
フライヤーズはファイターズと名前を変え、
東京から遠く離れた北海道で戦っている。

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村山覚 19年10月26日放送


Yasuoyamada
球場の話  川崎球場の流しそうめん

本来、プロ野球を観戦するためのスタンドで
流しそうめんや麻雀に興じる観客がいた。
今では考えられない話だが、
昭和のプロ野球のワンシーンとして今も語り継がれている。

京浜工業地帯の川崎市。
戦前から社会人野球が盛んだったこの街で、
多くの企業による共同出資でできたのが「川崎球場」だ。
戦後すぐにできた球場は老朽化が進み、
閑古鳥が鳴いている時期もあったが、
数々の記録が生まれ、優勝争いの舞台にもなった。

現在は改修され、主にアメフトの試合が行われている。
照明塔と外野フェンスが、野球場の面影として残っている。

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村山覚 19年10月26日放送


じぇにゅ
球場の話  横浜のナイトゲーム

日本における野球発祥の地は、横浜だ。

現在の「横浜スタジアム」がある辺りには
外国人の居留地があったため、
140年前からクリケットや野球、
ラグビーなどが盛んに行われていたそうだ。

昭和21年。
横浜でプロ野球初のナイトゲームが行われた。
現在のナイターは夜6時に始まることが多いが、
その試合は夜8時8分に始まった。

今のように明るい照明があるわけでもなく、
ボールも選手もよく見えず大変な試合だったそうだ。
しかしスタンドに詰めかけたお客さんは大喜び。
日本中の球場にナイター設備がつくきっかけとなった。

来年の夏。Y字の照明が輝く横浜スタジアムで
全世界が注目するナイトゲームが行われる。

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村山覚 19年10月26日放送


Rob Ketcherside
球場の話  後楽園スタヂアムの残像

昭和12年から昭和62年。
東京で50年の長きに渡り愛された球場といえば
後楽園球場。正式名称は「後楽園スタヂアム」。

5つのプロ野球球団が本拠地にしていたことも
あるそうで、一日に2試合行われることもしばしば。
50年間で行われた試合数は7172。
ホームランの数は、10416本にものぼる。

はるか昔には、大相撲やスキージャンプの大会が
行われたこともあるそうだ。
野外コンサートやクイズ番組の会場にも使われた。

何万人という人々が同時に目撃者となり、
当事者となった。キャンディーズの解散コンサートや
長嶋選手の引退セレモニーは今もなお、
そしてこの先も、永久の語りぐさだ。

球場は姿を消したが、鮮烈な思い出が消えることはない。

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村山覚 19年10月26日放送



球場の話  東京スタジアムの胴上げ

昭和37年。東京の下町・南千住に
巨大な野球場が、わずか10ヶ月で完成した。
遠くからもよく目立ち「光の球場」と呼ばれた。

正式名称は「東京スタジアム」。
サンフランシスコのスタジアムを参考にして
天然芝が敷き詰められ、水撒きも自動。
照明が明るく、座席はカラフル。画期的な野球場だった。

30億円もの私財を投じて球場をつくった
オリオンズのオーナーは、お披露目の日に絶叫した。
「皆さん、パ・リーグを愛してやってください!」

スタジアムができて9年目の秋。悲願のリーグ優勝。
約5000人のファンがグラウンドになだれ込んだ。
その中心には、監督や選手よりも先に胴上げされる
オーナーの姿があった。

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