ツタンカーメン 最後のチャンス
1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーターは、
崖っぷちにいた。
ツタンカーメン王の墓がどうしても見つからない。
25年間も探しているのに。
仲間の信頼も発掘資金も底を尽いた。
彼は資金提供者の元を訪ね、最後の支援を願い出た。
どこを掘るつもりか聞かれたカーターは、
王家の谷の地図を広げ、小さな一画を指差した。
資金提供者は言った。
私はギャンブラーだ。もう一度、君に賭けよう。
カーターの最後の挑戦が始まった。
ツタンカーメン 最後のチャンス
1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーターは、
崖っぷちにいた。
ツタンカーメン王の墓がどうしても見つからない。
25年間も探しているのに。
仲間の信頼も発掘資金も底を尽いた。
彼は資金提供者の元を訪ね、最後の支援を願い出た。
どこを掘るつもりか聞かれたカーターは、
王家の谷の地図を広げ、小さな一画を指差した。
資金提供者は言った。
私はギャンブラーだ。もう一度、君に賭けよう。
カーターの最後の挑戦が始まった。
ツタンカーメン 発見
1922年11月6日。
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を発掘していると、
突然急な階段が現れた。
階段を降りると、封印された岩の扉があった。
扉に穴を開けて明かりを差し込むと、
数千年分の埃の中に何かがぼんやり浮かび上がった。
何も言わないカーターに痺れを切らし、
仲間が何か見えるか尋ねた。
だがカーターは、
すばらしいものです
としか言えなかった。
穴の中はあたり一面、黄金が輝いていた。
ツタンカーメン 花の色
1922年11月6日。
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を見つけた。
墓にはファラオの生活がそのまま納められていた。
金や宝石に飾られた、たくさんの家具と服。
そして部屋の中央には大きな純金の棺。
蓋を開けると、宝石を散りばめた経帷子に包まれて、
ツタンカーメン王のミイラがあった。
顔は水晶をはめ込んだマスクで覆われ、
胸には様々な花で作った花輪が置かれていた。
3300年後の墓の中でも、
花はかすかな色合いを残していたという。
ツタンカーメン 呪い
1922年11月6日。
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を見つけたときのこと。
突然、一羽のタカが現れ、西の空へ飛んで行った。
タカは古代エジプトで王家の象徴。
西はあの世がある方角だと言われる。
人々は死んだファラオの魂が、
墓を汚した者に呪いをかけたのだと噂した。
5ヶ月後。発掘資金の出資者、
イギリスのカーナボン伯爵が左の頬を蚊に刺された。
傷は化膿し、伯爵は敗血症でこの世を去った。
ツタンカーメン王のミイラを調べたところ、
伯爵と同じ場所に、全く同じ傷があった。
ツタンカーメン
1922年11月6日、
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を発掘した。
それから7年間で、発掘に関わった人々のうち
12人が次々と謎の死を遂げた。俗に言う、
ファラオの呪い
である。
しかしもっとも呪いを恐れなければならないはずの男、
ハワード・カーターはこの噂を笑い飛ばした。
カーターがこの世を去ったのは、発掘から17年後の1939年。
64歳という当時の平均寿命以上の年まで、充実した人生を送った。
死因はもちろん自然死だった。
Copyright ©2009 Vision All Rights Reserved.