ツタンカーメン 発見
1922年11月6日。
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を発掘していると、
突然急な階段が現れた。
階段を降りると、封印された岩の扉があった。
扉に穴を開けて明かりを差し込むと、
数千年分の埃の中に何かがぼんやり浮かび上がった。
何も言わないカーターに痺れを切らし、
仲間が何か見えるか尋ねた。
だがカーターは、
すばらしいものです
としか言えなかった。
穴の中はあたり一面、黄金が輝いていた。
ツタンカーメン 発見
1922年11月6日。
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を発掘していると、
突然急な階段が現れた。
階段を降りると、封印された岩の扉があった。
扉に穴を開けて明かりを差し込むと、
数千年分の埃の中に何かがぼんやり浮かび上がった。
何も言わないカーターに痺れを切らし、
仲間が何か見えるか尋ねた。
だがカーターは、
すばらしいものです
としか言えなかった。
穴の中はあたり一面、黄金が輝いていた。
ツタンカーメン 花の色
1922年11月6日。
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を見つけた。
墓にはファラオの生活がそのまま納められていた。
金や宝石に飾られた、たくさんの家具と服。
そして部屋の中央には大きな純金の棺。
蓋を開けると、宝石を散りばめた経帷子に包まれて、
ツタンカーメン王のミイラがあった。
顔は水晶をはめ込んだマスクで覆われ、
胸には様々な花で作った花輪が置かれていた。
3300年後の墓の中でも、
花はかすかな色合いを残していたという。
ツタンカーメン 呪い
1922年11月6日。
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を見つけたときのこと。
突然、一羽のタカが現れ、西の空へ飛んで行った。
タカは古代エジプトで王家の象徴。
西はあの世がある方角だと言われる。
人々は死んだファラオの魂が、
墓を汚した者に呪いをかけたのだと噂した。
5ヶ月後。発掘資金の出資者、
イギリスのカーナボン伯爵が左の頬を蚊に刺された。
傷は化膿し、伯爵は敗血症でこの世を去った。
ツタンカーメン王のミイラを調べたところ、
伯爵と同じ場所に、全く同じ傷があった。
ツタンカーメン
1922年11月6日、
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を発掘した。
それから7年間で、発掘に関わった人々のうち
12人が次々と謎の死を遂げた。俗に言う、
ファラオの呪い
である。
しかしもっとも呪いを恐れなければならないはずの男、
ハワード・カーターはこの噂を笑い飛ばした。
カーターがこの世を去ったのは、発掘から17年後の1939年。
64歳という当時の平均寿命以上の年まで、充実した人生を送った。
死因はもちろん自然死だった。
「ゴジラの日」 1954年11月3日
1954年11月3日、「ゴジラ」が封切られた。
ゴジラを演じた俳優、中島春雄は
封切りの日に、渋谷東宝劇場に行った。
駅から道玄坂の途中にある映画館まで
長い行列が伸びていた。
中島は、満員の劇場の一番前で
スクリーンではなく、観客席を見ていた。
映画が始まっても観客はザワザワしている。
そこへゴジラが登場する。
あの鳴き声が響き渡る。
客席は静まり返ったという。
まさしくゴジラが産声を上げた瞬間だった。
今日はゴジラの日。
「ゴジラの日」 G作品
今日はゴジラの日。
65年前の今日、最初のゴジラ映画が上映された。
当初「原始恐竜が水爆実験の影響で復活し、東京を襲う」
という企画だった。
1954年3月にマーシャル諸島ビキニ環礁で核実験が行われ、
周辺海域にいた日本の第五福竜丸が被爆し、社会問題になっていた。
この事件とキングコングにヒントを得て、
大怪獣が復活する、というアイデアが生まれたと言われている。
この企画はクランクインするまで極秘で進められることになった。
仮に「G作品」と名付けられた。
GはGiantの頭文字、大怪獣からきている。
ゴジラの名はまだ生まれていない。
「ゴジラの日」 香山滋
今日はゴジラの日。
1954年11月3日に最初のゴジラ映画が
封切られたことから、制定された。
水爆実験の影響で、大怪獣が復活し東京を襲う。
当時のプロデューサーは、この作品を
科学的裏付けのあるものにしたいと考えていた。
そこで、検討用ストーリーを推理作家の香山滋に
依頼することにした。
香山は旧大蔵省の官吏であり、
在職中からいくつもの小説を発表し、
第1回探偵作家クラブ新人賞も受賞している。
古生物学、地質学に造詣が深く、
その知識を探偵小説に生かしていた。
知人からは「魚や虫ばかりの科学怪談を書いている」と
言われていたという。
自らは怪奇、幻想、秘境に対する偏愛があると言っている。
つまり、日本にSFというジャンルが生まれる前に、
SF色の濃い作品を手がけていたのだ。
まさにゴジラを誕生させるにふさわしい作家だった。
-Aschwin-
「ゴジラの日」 ゴジラが生棲(せいせい)していた時代
今日はゴジラの日。
65年前の今日、日本で初めて「ゴジラ」映画が公開された。
原作者で推理作家の香山は、
ゴジラを200万年前に生棲していた生き物だと設定している。
恐竜が栄えていた時代は、ジュラ紀から白亜紀、
約2億130万年前から6500万年前とされている。
なぜ、200万年前なのか。
それは直立2足歩行のアウストラロピテクスが
出現したとされる時代である。
人類が歩んできた歴史。
香山は、ゴジラの姿を人類と重ねたのだろうか。
「ゴジラの日」 ゴジラは5時だ
今日、11月3日はゴジラの日。
65年前の今日、ゴジラ映画が公開された。
日本特撮の父、円谷英二は、
ゼロからゴジラを生み出した。
当時撮影所では「ゴジラは5時だ」という言葉があった。
円谷は、ミニチュアセットに現実感が出るように、
小さなライトをいくつも仕込む。
ゴジラの造形もチェックする。
昼間、オープンセットの準備に入り、撮影は夜。
セットはゴジラが破壊する。熱線をはいて火災を起こす。
一回限りの真剣勝負だ。
ワンカット撮るのに数時間かかる。
予定のカットを撮り終えた頃には、夜が明けている。
だから、ゴジラは、朝の5時だったのだ。
「ゴジラの日」 円谷英二と伊福部昭
今日、11月3日はゴジラの日。
1954年の今日、「ゴジラ」が公開された。
音楽は、クラシック作曲家、伊福部昭。
ゴジラの鳴き声も発明した。
伊福部は円谷との出会いを回想する。
京都の小料理屋で月形龍之介と酒を飲んでいると
不意に客人が現れる。
月形はその客に向かって、またもらい酒か、などという。
客は気にとめる風もなく、ニコニコと酒を飲み、
洒脱な話をしながら延々と酒を飲んでいったという。
後日、東宝のスタジオで伊福部は、円谷を紹介される。
ハッとして、お久しぶりでございます、と深々と一礼した。
円谷は、やあお元気ですか、と答えたという。
この2人が日本映画に新しい風を起こすことになる。
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