2019 年 12 月 15 日 のアーカイブ

奥村広乃 19年12月15日放送


www.twin-loc.fr
タジン鍋

冬といえば、あたたかい鍋。

とんがり帽子のような蓋が特徴の鍋が
日本でも売られるようになった。
「タジン鍋」だ。
モロッコがその発祥という。

玉ねぎのように尖った鍋の蓋の形には意味がある。
食材から上がる水蒸気が、
蓋の先で冷やされて水となって鍋に戻るのだ。

これにより食材の持つ水分で蒸し煮をすることができ、
さらには、料理の香りが飛ばず風味豊かに仕上げることができる。
水溶性ビタミンも損なわれにくい。

最小限の水のみを使い、
野菜やお肉自体に含まれている「水」や「脂」を活用するタジン鍋。
飲料水が貴重なモロッコらしい鍋なのだ。

topへ

澁江俊一 19年12月15日放送



鍋ルネッサンス

冬といえば、あたたかい鍋。

日本の鍋料理が花開いたのは江戸時代。
まさに鍋ルネッサンスが起きた。

どじょう、まぐろ、あんこう、
すっぽん、ナマズ、穴子、白魚、ふぐ、
イノシシに、鹿、しゃも、雉・・・

鍋の百花繚乱。
様々な鍋の店が江戸じゅうに軒を並べた。

鍋が一気に広がった理由は「ひとり鍋」。
火鉢や七輪が普及した江戸時代は
底の浅い鍋で、ひとりで食べるのが主流だった。

寒い夜。
大好きな具を煮込んだ鍋を
独り占めする喜びは、
人間が味わえる幸福の中でも
最高に近いものでは、ないだろうか。

topへ

澁江俊一 19年12月15日放送



ちゃんこの味が染みる時

冬といえば、あたたかい鍋。

日本の国技である相撲。
稽古部屋で力士たちが食べる
ちゃんこ鍋はよく知られている。

力士たちにとって
たくさん食べることも稽古のうち。
手間ひまかけず大量に作れて
栄養豊富なちゃんこ鍋こそふさわしい。

1日2回。
激しい稽古の後にみんなで食べる。
具やスープの味を様々に変えることで
毎日でも飽きることがない。
昔は牛や豚など4本足の動物の肉は
土俵に両手をつく姿につながり
縁起が悪いとして鍋に入れなかったほど。
ちゃんこ鍋は、まさに
相撲とは切っても切れないものなのだ。

相撲の世界には
「ちゃんこの味が染みてくる」という表現がある。
新米だった力士が稽古を重ねて
精神的にも肉体的にも成長することで
一人前になり、角界に馴染んできた様を言う。

親方に「お前もちゃんこの味が染みてきたな」
と言われることは、新米力士にとって
涙が出るほど、うれしいことなのだ。

topへ

松岡康 19年12月15日放送


Kossy@FINEDAYS
お籠りと鍋

冬といえば、あたたかい鍋。

東北地方で有名な芋煮会。
河川敷に集まり皆で鍋を囲みつつき合う
心も体も温まる風習だ。

実は芋煮会、
ルーツは東北から遠く離れた愛媛県大洲市にあるという。

300 年以上前の江戸時代、
大洲市では「お籠り」という集会が定期的に行われていた。

各農家が里芋を持ち寄り、
鮎からとった出汁で炊いた鍋を食べる。

人々は籠る様にして一つの鍋を囲みながら、
稲の不作などを話しあい、
親睦を深めたという。

寒い夜に、ひとつの鍋をみんなで囲む。
鍋は、ずっと昔から変わらず、
人と人とをつなぐ、魔法の料理なのかもしれない。

topへ

松岡康 19年12月15日放送


alluréd
諭吉の食い意地

冬といえば、あたたかい鍋。

鍋の代表格であるすき焼きが広まる後押しをしたのは、
福沢諭吉だったといわれている。

そもそも肉が公に食べられるようになってきたのは、
江戸時代末期のこと。
明治初期になると、肉食は国を上げて推進されるようになる。

この文化をより一層広めたのが、
若い頃から食欲旺盛で食に対する好奇心は人一倍強かった、
福沢諭吉だった。

そのエネルギーは尋常ではなく、
肉食の良さをアピールする本『肉食之説』を発刊するほどだった。

今や世界に誇れるものとなった和牛。

肉食の歴史が浅いにも関わらず、
世界に誇れる食文化を生み出すことができるのは、
諭吉の様な先人たちの「食い意地」のおかげなのかもしれない。

topへ

礒部建多 19年12月15日放送



魯山人のすき焼き

冬といえば、あたたかい鍋。

甘辛く煮たすき焼きは、定番とも言える。
しかし、北大路魯山人は、それを「甘くどい、ごちゃ煮」と酷評する。

決して、すき焼きが嫌いだった訳では無い。
魯山人なりのすき焼きの食べ方があったのだ。

まず、霜降りの牛肉を焼き、
すぐに酒を入れ、醤油と僅かなみりんで味をつけて、
焼きあがったら大根おろしを載せて食べる。砂糖は加えない。

その後、昆布と鰹の合わせだしを鍋に足し、
豆腐、白葱、春菊、椎茸などを入れて味をつけて煮込み、
それらに大根おろしを載せて味わう。

肉と野菜を一緒に煮込まずに、焼いては食べる、を繰り返すのだ。

今宵、魯山人の食べ方を試してみるもよし。
あなただけの食べ方を探すもよし。
鍋ほど、自由な料理はないのだから。

topへ

礒部建多 19年12月15日放送


GetHiroshima
水軍鍋

冬といえば、あたたかい鍋。

日本津々浦々、
風土が生んだ数々の鍋料理がある。

その中でも、
“水軍鍋”という響きは、異彩を放つ。

瀬戸内海の海老や蟹、鯛やサザエに蛤などの魚介類と
海草をふんだんに使い、昆布などを使った出汁で煮込んだ鍋料理。
今も、広島県尾道市や愛媛県今治市周辺で食べられている。

戦国時代にかけて因島を拠点に
活躍した海賊・村上水軍が出陣する際、
必勝祈願と士気向上のために食べていたのがその発祥とされる。

特に「八方の敵を喰う」という意味で、タコは必ず入れたと伝えられる。

鍋で験を担ぐ。
しかしそれ以上に、
一つの鍋を囲むことで、結束を強めていたのだろう。

topへ

奥村広乃 19年12月15日放送



土器と鍋

冬といえば、あたたかい鍋。

土器の発明。
それが、日本の鍋料理のはじまり。

縄文土器の誕生は、今から約1万6000年前に遡る。
世界的にみてもその歴史は古い。

縄文人は肉や魚介、山菜、キノコなどを
土器の中に入れて煮炊き料理を作っていた。
焼いた石を土器の中に入れ、
具を早く煮る工夫もしていたという。

1万年以上前から、この国では鍋の文化が根付いていたのだ。
どうりで食べるとホッとしてしまうわけである。

topへ


login