家康がつくった図書館
江戸城の一角に図書館があった。
その名は紅葉山文庫。
1602年、幕府を開く前の年に、
徳川家康がひらいた。
キリスト教の宣教師がこの国に伝えた
活字印刷。16世紀末には書物の出版が
盛んになっていた。
家康は、歴史書や学術書など
広く収集する一方、みずからも
和漢の古典を出版するほどだった。
紅葉山文庫は、そんな家康の
書物好きの、いわば集大成とも言えた。
家康がつくった図書館
江戸城の一角に図書館があった。
その名は紅葉山文庫。
1602年、幕府を開く前の年に、
徳川家康がひらいた。
キリスト教の宣教師がこの国に伝えた
活字印刷。16世紀末には書物の出版が
盛んになっていた。
家康は、歴史書や学術書など
広く収集する一方、みずからも
和漢の古典を出版するほどだった。
紅葉山文庫は、そんな家康の
書物好きの、いわば集大成とも言えた。
書物奉行と書物同心
江戸城内にあった図書館、
紅葉山文庫。開設者、徳川家康。
5名前後の書物奉行と
20名ほどの書物同心が専任で勤務し、
11万を超える蔵書の管理にあたった。
書物の虫干し、保存状態の検査、
地震や大雨のあとの書庫内の点検などなど、
書物を守ることが何より大事なお役目だった。
書物奉行を拝命した人物が
就任にあたって提出した誓約書が残っている。
「虫に喰われぬよう、入念に手入れをすること。
無断で貸し出したり写したりせぬこと。」
将軍専用の図書館だけに責任も重かった。
徳川吉宗が借りた本
将軍専用の図書館、紅葉山文庫。
徳川家康が江戸城内に開設した。
初代に劣らぬ書物好きだったのが、
8代将軍、徳川吉宗。
彼が閲覧した書物の記録が残っている。
たとえば1723年(享保8年)
天然痘に関する中国の医学書を
20冊以上借りている。
この年、江戸の街に流行していた天然痘。
当時不治の病とされ、多数の死者を
出していたこの災厄から民を救う知恵を
みずから探そうとしたのか。
数々の改革で幕府を立て直した将軍の
真摯な思いが伝わってくる。
詰め将棋の将軍
江戸城内にあった紅葉山文庫。
徳川家康が、まつりごと運営の指針となる
古今の典籍をあつめた。
蔵書の中には、政治とは関係ない
趣味の本もあった。たとえば将棋の本。
江戸時代、歴代の将棋名人は、
名人位が決まるとそれぞれの技量を
詰め将棋の形で残し、幕府に献上していた。
将棋好きだった初代家康以来の習わしだった。
「暇さえあれば将棋ばかり差していた」
と言われる10代将軍、徳川家治は、
みずから詰め将棋の書物「詰将棋百局集」を
著して、紅葉山文庫におさめた。
紅葉山文庫のその後
1602年、徳川家康、
将軍の図書館、紅葉山文庫をひらく。
1868年、江戸城明け渡しの際、
4棟の書庫と16万冊の書籍も
そのまま新政府に引き渡される。
その後、
明治政府の「内閣文庫」に移管され、
いま国立公文書館のコレクションとなり、
公開されている。
幕府は瓦解したが、
本は散逸せず、知は受け継がれた。
紅葉山文庫は、将軍をはじめ、
もっぱら特権階級しか閲覧できない
図書館だったけれど、
いま万民のものになった。
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