2020 年 6 月 のアーカイブ

古居利康 20年6月27日放送



徳川吉宗が借りた本

将軍専用の図書館、紅葉山文庫。
徳川家康が江戸城内に開設した。

初代に劣らぬ書物好きだったのが、
8代将軍、徳川吉宗。
彼が閲覧した書物の記録が残っている。

たとえば1723年(享保8年)
天然痘に関する中国の医学書を
20冊以上借りている。
この年、江戸の街に流行していた天然痘。
当時不治の病とされ、多数の死者を
出していたこの災厄から民を救う知恵を
みずから探そうとしたのか。

数々の改革で幕府を立て直した将軍の
真摯な思いが伝わってくる。

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古居利康 20年6月27日放送



詰め将棋の将軍

江戸城内にあった紅葉山文庫。
徳川家康が、まつりごと運営の指針となる
古今の典籍をあつめた。

蔵書の中には、政治とは関係ない
趣味の本もあった。たとえば将棋の本。
江戸時代、歴代の将棋名人は、
名人位が決まるとそれぞれの技量を
詰め将棋の形で残し、幕府に献上していた。
将棋好きだった初代家康以来の習わしだった。

「暇さえあれば将棋ばかり差していた」
と言われる10代将軍、徳川家治は、
みずから詰め将棋の書物「詰将棋百局集」を
著して、紅葉山文庫におさめた。

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古居利康 20年6月27日放送



紅葉山文庫のその後

1602年、徳川家康、
将軍の図書館、紅葉山文庫をひらく。
1868年、江戸城明け渡しの際、
4棟の書庫と16万冊の書籍も
そのまま新政府に引き渡される。

その後、
明治政府の「内閣文庫」に移管され、
いま国立公文書館のコレクションとなり、
公開されている。

幕府は瓦解したが、
本は散逸せず、知は受け継がれた。

紅葉山文庫は、将軍をはじめ、
もっぱら特権階級しか閲覧できない
図書館だったけれど、
いま万民のものになった。

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奥村広乃 20年6月21日放送



コロリ

人類は遥か昔から
疫病と向き合ってきた。

1858年。
日米修好通商条約が結ばれた頃、コレラが大流行した。
江戸の死者数は約10万人とも、
30万人に上ったとも記録されている。

かかると3日でコロリと亡くなることから、
人々はコレラをコロリと呼んで恐れた。
錦絵には、虎、狼、狸の混ざった、
奇怪な姿をした妖怪としてコロリは描かれた。

目に見えない病。
イメージしやすい名前や絵をつけることで
正体のわからない怖さを皆で共有し、
乗り越えようとしたのだろう。

顕微鏡を覗けば菌やウイルスが見える現代。
あえて、病を妖怪として描いてみたら
どんな姿をしているのだろうか。

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奥村広乃 20年6月21日放送



鍾馗

人類は遥か昔から
疫病と向き合ってきた。

無病息災を祈る神楽がある。
鍾馗(しょうき)という神が、
疫病をもたらす鬼を退治するストーリーだ。

長い髭、勇猛さを物語る凛々しい眉毛、
そして力強い大きな瞳。
右手に剣、
左手には「茅の輪」(ちのわ)という
ふさのついた大きな輪を持ち、
問答を繰り返しながら
疫病神と激しい戦いを繰り広げる。

テンポの速い太鼓囃子や、
金の糸をふんだんに使った
豪華絢爛な衣装も見どころのひとつだ。

神楽の歴史は古く、
日本神話の時代まで遡るという。
それが今はオンラインでもみられるようになった。
無病息災、健康への願いは
時代や場所を超えるのだ。

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澁江俊一 20年6月21日放送


Norio NAKAYAMA
疫病が残した地名

人類は遥か昔から
疫病と向き合ってきた。

京都に百万遍と呼ばれる一角がある。
京都大学があることで知られ、
多くの人に馴染みの深い地名である。

百万遍。
この不思議な響きの名前は
疫病に苦しむ人々の祈りから
生まれている。

およそ700年前、
京都を襲った大地震と天然痘。
知恩寺の上人が100万回の念仏を
唱え続けると疫病はおさまったという。
1秒にひとつ眠らずに唱え続けても
百万遍には11日以上かかる
途方もない数字だ。

百万遍のように
疫病がきっかけで生まれた
地名や風習は日本中にいくつもある。
コロナと向き合う私たちは
未来に何を残せるだろう。

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澁江俊一 20年6月21日放送



病VS人類

人類は遥か昔から
疫病と向き合ってきた。

その中で地球上から
人類の力で撲滅できた病気が
いくつあるかご存じだろうか?

正解は、たったひとつ。
天然痘だけなのだ。

日本にも仏教伝来の頃にやってきて、
なんども繰り返し大流行した天然痘。
その起源はわからず
人類は何千年も戦い続けてきた。

それほどまでに人類VS病の
戦いに勝つことは、極めて難しい。
負けないように、心が折れないように、
向き合い続けることが
肝心なのだろう。

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松岡康 20年6月21日放送



赤い浮世絵

人類は遥か昔から
疫病と向き合ってきた。

色鮮やかに刷られているものが多い浮世絵の世界。
その中に、赤一色で刷られた「「疱瘡(ほうそう)絵」というジャンルがある。

天然痘が何度も流行った江戸時代に
厄除けのまじないとして描かれた。

天然痘を持ってくる鬼は赤を嫌うため、
病気になった子供たちはこの疱瘡絵を枕元に置いて天然痘と戦っていたという。

赤の濃淡だけで構成されたその絵は、
激しく力強い不思議な魅力にあふれている。

疫病と戦うなかで人類が生み出したものは多い。

いま、コロナと戦う私たちは、
どんな新しいものを生み出すことができるだろう。

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松岡康 20年6月21日放送


Gustavo Jeronimo
交通と疫病

人類は遥か昔から
疫病と向き合ってきた。

疫病と人類の歴史を語るうえで欠かせないのが、
『交通』の進歩だ。

本来疫病は単なる風土病であったが、
交通の開発によって人類の大きな脅威となった。

「シルクロード」では人、もの、文化を東西で交流させたが、
同時に多くの細菌やウイルスも一緒に移っていった。

交易で栄えたはずの漢と、古代ローマが衰退した一因は
疫病の交流でもあった。

コロンブスの新大陸発見でも、
ヨーロッパから持ち込まれた天然痘などで多くの先住民が亡くなり、
反対に新大陸からは梅毒が伝わり、
またたく間に欧州全土に広がった。

交通と交流の歴史は、同時に疫病の歴史でもあるのだ。

いま、私たちはオンラインで世界中と繋がり、
交流することができる。

人類と疫病の関係は今、大きく変わろうとしているのかもしれない。

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礒部建多 20年6月21日放送



神送り

人類は遥か昔から
疫病と向き合ってきた。

医療が発達していなかった頃、
疫病は悪い神が流行らせるものだと思われていた。

そんな邪神を送り出す「神送り」の儀式を、
落語の題材にしたものがある。その名も「風邪の神送り」。

町の人々が風邪の神を、
鐘や太鼓で囃し立てながら隣の町まで送っていく。
終いには川や海へ流してしまう。

しかし、「お名残り惜しい」と言う奴が現れる。
誰かと思ったら町内の薬屋であったのだ。

その夜、川に流れた風邪の神は、漁師の網に引っかかる。
発見した漁師が一言、「夜網に付け込んだな」と言って、
「弱み」にかけるのがオチである。

目には見えない敵を、漫談にして笑い飛ばす。
疫病も、人間の知恵とユーモアには敵わない。

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