「金銀の日」 アムステルダム大会
今日は金銀の日。
昭和3年8月2日、
アムステルダムオリンピックで、
日本人が金メダルと銀メダルを獲得したことを記念しています。
金メダルを獲得したのは、陸上三段跳びの織田幹雄の選手。
日本人初の快挙でした。
銀メダルを獲得したのは、人見絹枝選手。
陸上競技800メートルのレースです。
人見絹枝は日本人初の女性オリンピアンでした。
東京オリンピックが延期となったこの夏、
実現していたらどんな快挙に出会えたのでしょう。
「金銀の日」 アムステルダム大会
今日は金銀の日。
昭和3年8月2日、
アムステルダムオリンピックで、
日本人が金メダルと銀メダルを獲得したことを記念しています。
金メダルを獲得したのは、陸上三段跳びの織田幹雄の選手。
日本人初の快挙でした。
銀メダルを獲得したのは、人見絹枝選手。
陸上競技800メートルのレースです。
人見絹枝は日本人初の女性オリンピアンでした。
東京オリンピックが延期となったこの夏、
実現していたらどんな快挙に出会えたのでしょう。
「金銀の日」 織田幹雄
今日は金銀の日。
その由来となったアスリートの一人は、織田幹雄選手。
昭和3年、アムステルダムオリンピックの
三段跳びで金メダルを獲得しました。
実は「三段跳び」と名付けたのも織田幹雄選手でした。
英語では「ホップ・ステップ・ジャンプ」という競技。
日本でも「ホ・ス・ジャンプ」と呼ばれていました。
ただ、これでは長すぎる。
そこで織田選手は「三段跳び」を提案したのです。
これが採用され、今日まで使われています。
織田選手は、現役引退後も指導者として、
陸上競技に情熱を注ぎました。
指導を受けたい、と要望されれば海外にも行き、
生涯で40カ国以上の国でコーチをしたそうです。
世界を飛び回る、
ジャンプの多い人生でした。
「金銀の日」 人見絹枝
今日は金銀の日。
その由来となった一人、陸上選手・人見絹枝。
1928年、昭和3年の第9回オリンピック、アムステルダム大会。
陸上競技への女子選手の参加が初めて認められた大会で、
銀メダルを獲得しました。
本命の100メートル走では準決勝敗退。
走る予定はなかった800メートル走にも
エントリーしていたことから、
出場を決意しました。そして結果が銀メダル。
その雄姿は、オリンピックを題材にした大河ドラマで描かれ、
21世紀のこの時代においても多くの女性に勇気を与えました。
帰国してからは、日本の女子陸上競技の振興のために
精力的に活動し全国を飛びまわりました。
そして、銀メダル獲得後わずか3年で、
その生涯を終えてしまいます。
けれども
人見の命をかけた活動があったからこそ、
今の女子アスリートの活躍があるのでしょう。
その系譜を継ぐ女子選手の姿を、早く見たいですね。
「金銀の日」 内藤克俊
今日は金銀の日。
1928年、アムステルダム・オリンピックで
日本人選手が、金銀のメダルを獲得したことを記念しています。
その4年前のパリ大会で
銅メダルを獲得した日本人がいたことは、
あまり知られていません。
内藤克俊、レスリングの選手です。
アメリカ、ペンシルバニア州立大学に留学し、
レスリング部の主将を務めていた内藤は、
駐米大使の推薦で日本選手団に加えられました。
知られざるオリンピアンの活躍、
もっと知りたくなります。
「金銀の日」 バロン・ニシ
今日は金銀の日。
1928年、アムステルダム・オリンピックで
日本人選手が、金銀のメダルを獲得した、その記念です。
かつて、オリンピックの最終種目は、
馬術の障害飛翔と決まっていました。
1932年のロサンゼルス大会、
コースは難易度が高く、失格が続きました。
そんななか金メダルを獲得したのは、
30歳の陸軍中尉、西竹一とウラヌス号。
日本馬術、唯一の金メダル。
バロン・ニシの愛称を持つ彼は、
勝利後の記者会見で「We won.」と
簡潔に答えました。
Weとは、自分と馬、なのか
私たち日本人、なのか。
真意は時の彼方です。
「金銀の日」 友情のメダル
今日は金銀の日。
1928年、アムステルダム・オリンピックで
日本人選手が、金銀のメダルを獲得したことを記念しています。
銀と銅のメダルを半分に割り、一つに組み合わせた、
友情のメダルと呼ばれるものがあります。
1936年のベルリン大会の棒高跳び。
1位のアメリカ人選手は4メートル35、
日本人の2選手、西田修平と大江季雄(すえお)が、
ともに4メートル25の記録で試合終了。
2人とも銀メダルだと思っていたけれども、
翌日の表彰式では、西田が2位で大江が3位。
ルールでは同記録は同順位のはずでした。
納得がいかない2人は、ルールを正すために、
銀銅のメダルを分け合ったのです。
「金銀の日」 熊谷一彌
今日は金銀の日。
1928年、アムステルダム・オリンピックで
日本人選手が、金銀のメダルを獲得した、その記念です。
それに先立つ1920年、アントワープ大会。
2つの銀メダルを獲得した日本人選手がいました。
熊谷一彌。テニスのシングルス、ダブルスで2位。
しかし熊谷は、この成績を「一生の不覚」と悔いたそうです。
連日の雨で、決勝当日思うようにプレイできなかった。
熊谷は、その後デビスカップなどで活躍。
銀メダルの無念を晴らすかのようでした。
Ed Yourdon
「金銀の日」 新規採用競技
今日は金銀の日。
1928年、アムステルダム・オリンピックで
日本人選手が、金銀のメダルを獲得したことを記念しています。
今年延期になった東京オリンピックでは、
サーフィン、スケートボードなど、
今まで、遊びや趣味としてしか
捉えられなかったスポーツが
新規競技として採用されています。
新しい競技に、登場するヒーローは誰か。
楽しみですね。
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