辛さで涼をとる東南アジア
東南アジアの食生活といえば「辛い料理」が思い浮かぶ。
元はといえば、手に入りにくい塩の代わりとして唐辛子を使ったからだと言われている。
スパイスがふんだんに使われた料理を食べると、
汗が体を冷やしてくれるというのはよく知られているが、
唐辛子が役立っているのは発汗作用だけではない。
辛味成分であるカプサイシンは食欲増進を助け、夏バテ防止になるのだ。
クーラーの元でのんびりもよし。
たくさん食べて汗をかくのもまた、健康的で、夏らしい。
辛さで涼をとる東南アジア
東南アジアの食生活といえば「辛い料理」が思い浮かぶ。
元はといえば、手に入りにくい塩の代わりとして唐辛子を使ったからだと言われている。
スパイスがふんだんに使われた料理を食べると、
汗が体を冷やしてくれるというのはよく知られているが、
唐辛子が役立っているのは発汗作用だけではない。
辛味成分であるカプサイシンは食欲増進を助け、夏バテ防止になるのだ。
クーラーの元でのんびりもよし。
たくさん食べて汗をかくのもまた、健康的で、夏らしい。
チンチン電車の日
1903年8月22日、
新橋ー品川間の軌道の上を、
鉄道馬車に代わってチンチン電車が走り始めた。
少年だった獅子文六は、
初めて電車を見た時の憧れをこう記している。
「二本のポールと電線の間から、青い火花が散るのが、最も魅力的だった。」
明治東京の真っ暗な街を疾走していく姿は、
まるで光の籠のようだったという。
今日はチンチン電車の日です。
チンチン電車の日
チンチン電車を走らせながら、
運転士と車掌は頻繁に鐘を鳴らしていた。
出発の合図に運転士がチン、了解の合図に車掌がチン。
「次お客さんが降りるから停まって」でチン、
「よしわかった」とチン。
鐘の音で運転士と車掌が会話していたのだ。
チンチンという音を聴かなければ
電車に乗ったような気がしなかった
と獅子文六は書いている。
今日はチンチン電車の日。
チンチン電車の日
チンチン電車の運転士の足もとには
フートゴングという鐘があった。
電車の前を横切ろうとする人がいると、
運転士はこの鐘を鳴らして警告する。
京都市電が走り始めた頃は、
先走りと呼ばれる少年が電車の前を走り、
「電車がきまっせえ、あぶのおっせえ」
と通行人に声をかけていたという。
少年の声が、チンチンという鐘の音に変わったのだ。
今日はチンチン電車の日です。
チンチン電車の日
チンチン電車は世界中の街を走った。
レイ・ブラッドベリの小説『たんぽぽのお酒』の中には、
ある朝、銀色にカーブしたレールを、
クロムのベルをチンチンと鳴らしながら
やってくる電車の姿が描かれている。
「これが最後なんだ。市街電車はなくなるんだよ。
明日からはバスが走ります」
と告げる運転士に、少年は言い返す。
「そんなことできることじゃないよ!
どう見たってバスは市街電車じゃないもの。
火花だって散らさないじゃないか」
今日はチンチン電車の日です。
チンチン電車の日
映画「欲望という名の電車」の冒頭シーンに出てくる路面電車。
行き先には「Desire」(欲望)と書かれている。
当時ニューオーリンズの街を実際に走っていた
Desire Street行き系統の電車だ。
「『欲望』という電車に乗って『墓地』で乗り換え
『極楽』で降りるんだけど」
ヴィヴィアン・リー演じるブランチのセリフ。
どれも実際にある地名である。
チンチン電車は人生そのものを乗せている。
これからもまだまだ走ります。
今日はチンチン電車の日。
Achim Kleist
宇宙葬
今日は、送り盆。
誰かが亡くなることを
遠回しに表現して
「星になった」
ということがある。
星になる。
これはもう例えではなく、
実現できる散骨方法の一つ。
亡くなった方の遺灰を
カプセルに入れ、
ロケットや人工衛星で
宇宙空間に打ち上げるのだ。
宇宙葬と呼ばれ、
日本でもいくつかの会社に
頼むことができる。
大切なあの人は、
今は憧れの宇宙旅行中。
そんなストーリーが
誰かの心をなぐさめるかもしれない。
永遠の絆
今日は、送り盆。
ダイヤモンド。
その宝石言葉は「永遠の絆」。
シンプルなのにキラキラと美しく、
その輝きに魅了された人も数知れず。
愛を誓うエンゲージリングに
この宝石を選ぶ人も多い。
遺骨をダイヤモンドにする
サービスがあるという。
身体に含まれる炭素から
ダイヤモンドの結晶を生み出すのだ。
死が二人を分つとしても。
思い出の日々は
永遠にきらめきつづける。
kontenten
火と死
今日は、送り盆。
お盆という風習が
日本で一般的になったのは
江戸時代だと言われている。
それまでは長い間
僧侶や貴族だけが行う
特別な行事だったお盆だが、
江戸時代に入ると、
ろうそくや提灯が大量生産され
民衆にも定着してゆく。
線香やろうそく、提灯や花火…
儚い炎の灯りは
長い長い間
あの世とこの世をつなぐ
道しるべになっていた。
家でも街中でも
危ないからと炎に触れる機会が
少なくなった現代。
死を想う時間からも
遠くなってしまっているとしたら
それはとても寂しいことだ。
サステイナブルな死
今日は、送り盆。
死んだらお墓に入るだけじゃ、
今はない。
多様化の時代、
人生の終わり方にも
様々な選択肢が用意されている。
縄文時代、
人は死ぬと姿形を変化させ、
様々な自然の一部に循環していくと
考えられていた。
鳥や花、木や獣など様々なものに
生まれ変わると。
自然を丁寧に観察することで
縄文人はその事実に気づいていた。
私たちは今、ようやく彼らの死生観に
近づくことができているのかもしれない。
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