nauleyco
映画音楽 ひこうき雲
ジブリ映画、『風立ちぬ』。
大正時代の日本、堀越二郎は美しい飛行機をつくることを夢見ていた。
やがて国は戦争へと突入し、彼は戦闘機・零戦を設計することとなる…。
映画制作中、宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデュサーが集う部屋に、
ある曲が流れてきた。
絵コンテに追い込まれていた監督は、
その歌を聴いて人知れず涙を流したという。
それが、松任谷由実の「ひこうき雲」。
『風立ちぬ』の主題歌となる曲である。
nauleyco
映画音楽 ひこうき雲
ジブリ映画、『風立ちぬ』。
大正時代の日本、堀越二郎は美しい飛行機をつくることを夢見ていた。
やがて国は戦争へと突入し、彼は戦闘機・零戦を設計することとなる…。
映画制作中、宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデュサーが集う部屋に、
ある曲が流れてきた。
絵コンテに追い込まれていた監督は、
その歌を聴いて人知れず涙を流したという。
それが、松任谷由実の「ひこうき雲」。
『風立ちぬ』の主題歌となる曲である。
Olivier Strecker
映画音楽 エンニオ・モリコーネ1
映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネが先月、91歳で逝去した。
『夕陽のガンマン』
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
『ニュー・シネマ・パラダイス』
『海の上のピアニスト』
『ヘイトフル・エイト』
60年以上に及ぶキャリアを通じ、
600を越えるオリジナル楽曲を手がけてきたエンニオ・モリコーネ。
彼がこの世を去っても、その魂は人々の心の中で響き続ける。
breatheoutnow
映画音楽 エンニオ・モリコーネ2
映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネの「Chi Mai」は
1971年に公開された映画『Maddalena』のためにつくられた。
映画自体はヒットせず、日本では公開されることもなかった。
しかし、「Chi Mai」はその後、数々の映画やドラマに使用され、
映画音楽史に残る作品となった。
Haags Uitburo
映画音楽 ヒドゥル・グドナドッティル
第92回アカデミー賞で、映画「ジョーカー」が作曲賞を受賞した。
作曲したのは、アイスランド人の女性チェリスト
ヒドゥル・グドナドッティル。
人間の複雑な内面を捉えたサウンドトラックは見事なもので、
主演のホアキン・フェニックスが、
役作りのターニングポイントになったと明言しているほどだ。
実は彼女は、撮影前にすべてのスコアを仕上げていた。
セットや衣装をまとった俳優たちを目にする前から、
彼女には、監督と同じ「ジョーカー」の世界が見えていたのだ。
ヒドゥルは受賞スピーチでこう語る。
映画作曲家の創造性は、監督との対話によってのみ生まれます。
映画音楽 ハートビート
映画音楽は、しばしば、映画よりも愛される。
その証拠に、音楽そのものは、
テレビやウェブでBGMとして登場することはもちろん、
街なかのカフェで流れたり、
フィギュアスケートやダンスなどの身体表現の創作を支えたり、
一人ひとりのスマートフォンに入っていることもある。
ジェームズキャメロン監督は、映画音楽についてこう話している。
映画音楽は、映画の鼓動なんだ。
時と共に、忘れられていく物語もある。
それでも、その映画音楽が脈うつ限り、
映画は生きつづけられるのだ。
映画音楽 星に願いを
ディズニー史上初の、アカデミー歌曲賞を受賞した映画「ピノキオ」。
主題歌「星に願いを」は、しっとりとしたロマンチックな名曲だ。
劇中でこの歌を歌うのは、
ピノキオを良い行いに導くコウロギ、ジミニークリケット。
ジミニー役のクリフ・エドワーズは、
ウクレレ奏者として活躍していたが、
この映画を機に、ディズニーを代表する人気声優となった。
星に願いをかけるとき
君が誰でも関係ないさ
心に願うことはなんでも叶うはず
映画音楽 Rhapsody in Blue
「ニューヨークを夢の国のように撮りたい」
ウディ・アレン監督自ら、
その想いが完全に満たされたと語った、映画「マンハッタン」
オープニングはガーシュウィンの「Rhapsody in Blue」の調べにのせ、
ニューヨークの街並みが、モノクロで映し出される。
夜明けの摩天楼、ブロードウェイのネオンサイン。
ノスタルジックな風景に、
ウディアレン演じる、主人公のセリフが重なる。
「ニューヨークは常にモノクロの街であり、偉大なガーシュウィンの曲だった。」
Jose Luis RDS
ヒゲと芸術
世界で最も有名な口髭の持ち主に選ばれた、
サルバドール・ダリ。
あの上向きにはねた口髭は、
一度見たらなかなか忘れられないものがある。
しかもあのひげは、実は水あめで固めていた、
なんていう逸話も。
そんなダリの口髭が、
再び話題になったのが2017年の出来事。
ダリの娘と名乗る女性が出現。
その関係性を証明するため、
裁判所が遺体の掘り起こしを命じたのだ。
1989年に亡くなり、
約30年ぶりに掘り起こされたダリ。
身体はミイラ化していたが、
なんとその口元には生前と変わらない口髭が。
死してなお、トレードマークは変えないようだ。
ヒゲと将軍
戦国の世において、
ヒゲは武士の強さの象徴だった。
ところが江戸幕府ができると
官僚化した武士にヒゲを剃る習慣が広がる。
荒っぽいヒゲは「傾奇者」と呼ばれる
アウトローたちのものとなり、取り締まりの対象に。
そして4代将軍・徳川家綱の代に
とうとう「大髭禁止令」が発令され、
ヒゲが一掃されるに至った。
確かにそれ以降の浮世絵を見ても
ヒゲを生やした者は見当たらない。
泰平の世ともに、ヒゲは居場所をなくしたのだ。
ただし、禁止令にも例外が。
長谷寺に残る家綱自身の肖像画には、
堂々たるヒゲが生えている。
武士のトップに許された特権だったのだろうか。
ヒゲと時代
明治や大正の頃、立派な髭は男の勲章だった。
政治家も、経営者も、街の人々も、皆が当たり前のように髭をたくわえた。
昭和の後半、いわゆる高度経済成長の頃からバブルが弾けるまで
髭を生やす人はどんどん少数派になっていった。
髭なしスタイルは「安定・秩序・平和」の象徴とも言われた。
平成になり、男たちは再び髭を生やし始めた。
特に急成長を遂げたインターネット業界では髭率が高い印象。
安定や秩序よりも、変化を望んでいるという意思表示にも見える。
そして令和。
家で過ごす時間が増えて「コロナ髭」なんて言葉も生まれた。
この先、髭の経営者や政治家が増えるのだろうか?
それとも、さっぱりとした髭なしスタイルが好まれるのだろうか?
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