古居利康 12年8月25日放送



ドナルド・エヴァンズの国へ ①

ドナルド・エヴァンズは画家だった。
その絵はすべて、
切手のかたちで描かれた。

どこにもない国の、
だれも行ったことのない風景。
だれも食べたことのない果物。
だれも会ったことのない動物。

そんな絵を、
ちいさく緻密に描いて切手にした。

31年という、
決して長くないその生涯において、
42の架空の国をこしらえて、
その国々で発行された切手を
4000枚以上遺した。

ドナルド・エヴァンズは画家だった。
こどもが切手をあつめるように、
切手の絵だけを描きつづけた画家だった。



ドナルド・エヴァンズの国へ ②

1945年、
アメリカ・ニュージャージー州の
モリスタウンで生まれた画家、
ドナルド・エヴァンズ。

女王エリザベスⅡ世が1953年に
戴冠したとき、8歳のエヴァンズ少年は、
架空の記念切手をつくった。

野球やオートバイや女の子・・。
おなじ世代のアメリカの男の子たちが
夢中になるものよりも、
地図や百科事典が好きな少年だった。

10歳のころ、どこにもない国の切手を
すでにつくっていた。

その国に名前をつけ、
その国の風景を想像し、
その国の歴史や言語まで発明した。

15歳になったとき、
15の国と1000枚の切手ができていた。
ドナルド・エヴァンズは
それを3冊の切手アルバムに
だいじにおさめていた。



ドナルド・エヴァンズの国へ ③

ドナルド・エヴァンズは、
じぶんの頭のなかでこしらえた想像の国で
使われている切手だけを、生涯描いた画家だった。

たとえば、
中南米のどこかにあるかもしれない
架空の国、バナナ共和国。

バナナ共和国で実るフルーツ。
バナナ共和国に生きている動物・鳥・虫。
バナナ共和国に生えている花・樹木。
バナナ共和国で暮らす人々の日用品。

外国資本によるプランテーションをめぐって
つねに政治闘争に明け暮れている、
という想定でつくられた国。
しかし、その国の切手はどれも牧歌的だ。
もしかしたら、どこかにあるかもしれない国の、
ふしぎなリアリティがそこにあった。



ドナルド・エヴァンズの国へ ④

どこにもない国。
でも、どこかに存在していても
ふしぎじゃない国。
そんな国を想像力でつくりあげ、
その国の風物を絵にして、切手をつくった、
切手の画家、ドナルド・エヴァンズ。

スカンジナビアのどこかにある
というイテケ王国は、女王イテケの国。
美しい舞踏家、イテケ・ヴァーテボルグを
モデルに、女王の肖像画を36枚描いて
切手にした。

パスタ自治区という国は、
エヴァンズのパスタ好きが高じて生まれた。
絵柄はもちろん、スパゲッティやマカロニ。

宋栄(スンソン)王朝は、
エヴァンズが好んで収集していた
中国・宋時代の陶磁器から命名。
漢数字をデザインした。

フランス領アミとアマンとういう双子の島。
雷で打たれ、焼け焦げたヤシの木だけを
20枚描いて、切手にした。

ドナルド・エヴァンズが夢想した国。

フランディア。
スロボヴィア。
ジェルメンド。
オランダ領アハターデイク。
リュプス王国。
東クンストランド。
西クンストランド。
トロピデス諸島。
アジュダニ。 
グノーティス。
  ・
  ・
  ・

どの国も、
匂いや音や手触りをもっている。
ドナルド・エヴァンズの想像力は、
つねに具体的だった。



ドナルド・エヴァンズの国へ ⑤

ドナルド・エヴァンズは、
画家を志して大学に入り、
ニューヨークに出て働きながら
絵を描いていた。

あるとき、3冊の切手アルバムを
友人に見せた。おどろいた友人は、
きみはこれをつづけるべきだ、と言った。

やがて、ドナルド・エヴァンズは
オランダに渡る。
レンブラントやフェルメールの国で、
再び切手の絵を描きはじめる。

ヨーロッパの小国、ナドルプ。

マレー半島にあるスラマット・マカン共和国。

敬愛する作家、ガートルード・スタインを
モチーフにしたスタイン国は、
文芸独裁制という独特の政治をおこなう国で、
切手にはスタインの文章がそのまま
書かれていた。

国は次から次へ生まれ、切手が増えていった。



ドナルド・エヴァンズの国へ ⑥

「切手というものは、」

と、ドイツの文明批評家、
ヴァルター・ベンヤミンが書いている。

 「大きな国が、子供部屋で差し出す名刺である。
  こどもはガリヴァーとなって、切手の国々や
  民族を訪ね歩く。」

画家ドナルド・エヴァンズが
つくった切手は、
どこにもない国へつづく、
ちいさな入り口なのかもしれない。

paloetic
ドナルド・エヴァンズの国へ ⑦

切手の画家、ドナルド・エヴァンズは、
1977年、アムステルダムの友人の家で
火事に巻きこまれて焼け死んだ。

31歳。
オランダに渡って5年後のことだった。

詩人、隆は、
ドナルド・エヴァンズが残した
切手の世界にどうしようもなく惹かれ、
二度と戻らない旅に出てしまった
ドナルド・エヴァンズに宛てて、
何枚も葉書を書いた。

たとえば、こんな葉書を。

『あなたが描いた四千枚の切手、
 それを描くことでつくられていった
 空想の四十二の国々と、
 その気候、風物、通貨、言語、そして人々。
 あなたはそれらを、充分に秩序立てて
 描いたばかりではなく、
 あなたにとっての唯一の書物ともいうべき
『世界のカタログ』の中に、
 それらの発行にかんする詳細なデータを付して、
 封じ込めていった。あなたが描くたびに、
 その書物はふくらみ、ひとたびあなたが
 描かなくなると、増殖と飽和の果てで
 中断された書物は、かえって、世界という
 吹き曝しの地平をひろげてみせるようです。』

そんな葉書を186通あつめたうつくしい本、
平出隆の『葉書でドナルド・エヴァンズに』。
本の帯にはこんな惹句が載っている。

  「架空の国の切手の、
  架空の国々への、
  ほんとうの旅」

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